大泉博子の

徒然草

DAILY
日々雑感
  •  もちろん、日本国憲法によって侵略戦争はしない、男女平等の実現など民主主義国家となって多くのものを得た。しかし、戦地に動員された人々の孫・曽孫の世代になった今、失うべきでないものも、何らかの理由で失ったことを知る。結婚は人生の必然ではなくなった、したがって家族の価値は必ずしも高くなくなった、大衆教育がむしろ学問の地位を下げた、老人が尊敬されることはなくなった、政府や社会への信頼が薄れた・・・

     今の若い人は天皇制に興味を持っていない。だから、皇室典範の改正をどうでもよいと思っている人が多い。「今どき男が継いでいくなんてものがあるの?」と思っても、自分の人生には何の関係もない。また、欧米の圧力で捕鯨が規制されて久しいが、若者は「クジラなんか食べたことないから、食べたいと思わない」。戦後の餓鬼どもが、学校給食の鯨の竜田揚げを楽しみに生きてきたのを知らない。鯨肉は当時のたんぱく源として重要だったし、そもそもクジラは縄文時代から日本人の食料だったのだ。江戸時代でも、魚とみなされた鯨は四つ足動物とは異なり、高たんぱくの供給源だった。

     日米安保条約で自主防衛の観念を失ってから、防衛の分野だけでなく、文化的にもアメリカ追従をしてきた結果が、今ここにある。良いものもある。戦後しばらくはディズニーやポパイのアニメに感動して育った世代が、現在では世界一のアニメ大国を創り上げた。しかし、追従する体質は、議論を避け、追従するものに突進して過去を捨てがちだ。戦後採り入れられた少女漫画のヒロインたちの顔が、今も若い人たちの理想の顔のようだが、欧米流に目がぱっちりで長い睫毛、その代わり鼻と口はなくてもいい。浮世絵の美人画とは対極の顔である。

     アメリカファーストで世界秩序からアメリカが後退し、アメリカが定義する「権威主義国」が対峙する中で、グローバルサウスが勢力を上昇させている。西側諸国にも権威主義諸国にも与しない。グローバルサウスの代表はインドである。インドはネルー時代から一貫して第三勢力に属し、今も全方位に外交的発展をする。高市首相がモディ首相に「美しい妹」と呼ばれたのは通訳の間違いと判明したが、しかし、妹と呼んだことは確かだろう。インド人は大家族に育った人が多く、いとこやはとこまで、兄とか妹とか呼び合う。アジアの国として家族志向の強いインドは、家族の価値も失っていない、伝統価値の何も失っていない国なのである。

     日本も自主防衛を考える時が来ている。同時に、日本が持ち続ける価値について考える時でもある。

    •  日本の老人向け広告は、膝が痛い、腰が痛い、元気が出ない、…などの老人の訴えに対し、これを飲めば治ります、と結論を持っていき、結局サプリメントの広告だとわかる仕掛けだ。

       しかし、このところ、ユーチューバーが無名で出しているアメリカの老人広告が大量に視聴できる。内容は、90-100歳代の老人に「私の送る健康生活」というような内容で、多くは、施設に入るな、一人暮らしで好きなものを食べ、小さい子の見守りなど出来ることをし、誰に頼らなくても、うるさい栄養学のお世話にならなくても、元気に生きられる方法を伝えている。

       一つ例を挙げれば、103歳のおばあさんが、身ぎれいでしっかりした口調で話す。「私は、三食とも毎日、卵、肉、牛乳、じゃがいもの4種類だけ料理して食べて生きている。コレステロールがたまるだの、牛乳のような白いものは避けるべきだの、多様性のない食事は偏るだのとの助言はおせっかいだ。同じものを食べてもおいしくて栄養満点だ。味付けにレシピはいらない、塩をふるだけ」。

       サプリメントを飲み続けて、万が一効果があったとしても、人間はいつかは死ぬ。しかも、サプリメント以外の一日の生活をどうするかが問題なのだ。長年生きて自分でつかんだ健康パターンで生活を送ることの方が重要だ。別のおばあさんは、「ヘルパーの手を借りると、自分のやり方と違うので気に入らない」「子供の世話になると、若い人の輪に入れず疎外感を味わう」「施設に入ると、外の空気を吸うのも許可制になる」「シニア婚を勧められるが、相手に全財産を奪われた話をよく聞く」等々、真実をきちんと教えてくれる。

       日本も、サプリメントで生活を変えましょう、健康診査の数値を気にして生きましょう、・・・そういう言い方はもうやめるべきではないのか。自分の人生は自分のもの、医療者のためでも、政府のためでもない。ここまで生きてきたなら、頑固に自分流に生きることを訴える広告に変えてほしい。

       

      •  家父長制の下で「男は一家の大黒柱」「女は自由がなく子供を産む道具」と叫んでフェミニストの運動がかれこれ半世紀以上も続いた。アメリカではベティ・フリーダンの「女らしさの神話」刊行(1963年)、日本では、中ピ連(ピル解禁の女性解放連合)結成の1972年を始まりと仮定すれば、だが。

         日本では、86年施行の雇用機会均等法と90年代の男女共同参画の普及で、少なくとも女性の社会進出は相当進んだ。しかし、一貫してフェミニスト運動は文化的・慣習的な家父長制は残存し女性差別はそこかしこに観られると主張する。そうかもしれない。しかし、そうでない現象もある。50歳時未婚率3割の男性の存在と少子化である。

         フェミニスト運動と少子化とは直接関係するわけではないが、フェミニスト運動が敵対してきた「家父長的」類の男性が極端に減ることにより、間接的に少子化が進んでいるのは事実ではないか。現在、夫婦と子供の世帯の割合は全世帯の24%(2024)であり、世間的には、少数エリート家族と評される。夫婦に子育てするだけの所得があり、家族経営が成功しているからである。もし家父長的文化が根付いているならば、大黒柱になりえない男性は結婚を忌避するであろうし、情報過多で面倒になった女性を妻に迎える余裕のない男性は別の生き方を選ぶであろう。家の存続をもしまだ考える男性がいるならば、ロマンスを求める現代女性に興味を抱かれることもないだろう。

         男性の側からみれば、昔ながらの「家父長的」結婚など望める人はエリートでしかなく、結婚の意味を新たに作り上げなければ、フェミニストに言われるまでもなく「ハイハイ、私は家父長的志向がないので、結婚は遠慮させてください」となってしまうのが、今日の少子化の真の原因ではないのか。かつて、兵隊になるために男は強くなければならぬから「男の子は泣くな」と教えられ、戦後の平和国家では、モーレツ社員になるため男は強くなくてはならぬと強壮剤を飲みながら仕事をした時代は終わった。強くなくていい、そんなに稼がなくていい男たちに、結婚や子供に興味を持ってもらうための新たな結婚の意味を考えるのが、今日の少子化政策に欠けている。

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