大泉博子の

徒然草

DAILY
日々雑感
  •  2026年に明るいニュースがあるとすれば、ダントツに、2月、イタリアのミラノで開催された冬季オリンピックで、りくりゅう(三浦璃来・木原龍一選手)のフィギュアスケート・ペアの金メダル獲得であろう。ショートの失敗に泣き崩れた木原選手を相手の璃来選手が「フリーは(他でもない)あなたのために滑る」と声かけて逆転金メダルを勝ち取った、出来すぎるほどの成功物語だ。

     その二人が結婚する。命がけの信頼関係と、戦友として共にやり遂げた仕事。誰しもがうらやむ関係が結婚に至った。テレビの街頭インタビューで、三十代後半と思われる男性が「これで、結婚のハードルがますます上がった」と答えた。想像するに、やや焦り始めた結婚だが、「結婚とは固い絆を前提とするもの」「軽々しい結婚は好ましくない」という思いがけぬプレッシャーが彼に襲い掛かってきたように思われる。そうに違いない。

     速報によれば、24年・25年の婚姻数が増えたため、今年前半の出生数が若干上がっているという。60年前の1966年には丙午の迷信で出生率が落ち込んだが、さすがに今年の丙午の日本に迷信は消え去った。だが、結婚に真剣さが求められるようになったなら、この傾向を楽観視できない。

     二極化の進んだ日本では、誰もが喜ぶことを喜ばない人も出てきている。りくりゅうの喜ばしいニュースさえ誹謗中傷のネタになっていることを知った。ふと、養老孟司先生のユーチューブ講話で知った「不機嫌なおじいさん」を思い出した。昔から頑固爺は当たり前のように存在していた。好々爺になるのと同じくらいの割合で、「世の中面白くない」「俺にはちっともいいことない」「家族に大切にされていない」と愚痴っては、はた迷惑な行いをして困らせるおじいさんだ。おばあさんではないのが、かつて自分は偉かった、上司だった、ボスだったと自己認識のあるおじいさんによくあることだからだ。

     実は本当に偉かったのではなく、偉くなりたかったが、なれないで燃え尽きずにくすぶって青壮年を過ごし、周囲や社会を批判することで老年期を過ごす、愚痴爺さんなのだ。SNSでりくりゅうを腐すようなひねくれ者は、若いうちから人生をあきらめ、爺さんになってしまった輩ではないのか。

     養老先生を始め、多くの識者がユーチューブで老後の過ごし方を説いているが、若い人こそ見てほしい。ひねくれた不機嫌爺にならぬよう、若き日のやり遂げ感をいかにつかみ、いかに人と社会に感謝するか。それができて初めて、幸せな老後が待っているのだ。先ずは、りくりゅうの結婚が改めて結婚というものを、家族を創るということを人生における努力の成果であるとして考え、創り上げてほしい。

     りくりゅうの結婚は、少子社会における真の意味での希望、つまり、努力して成し遂げる人生を示唆してくれたと信じてやまない。フォロワーたちが少子社会を返上する勢いまでになれば、これ以上のことはあるまい。

    •  もちろん、日本国憲法によって侵略戦争はしない、男女平等の実現など民主主義国家となって多くのものを得た。しかし、戦地に動員された人々の孫・曽孫の世代になった今、失うべきでないものも、何らかの理由で失ったことを知る。結婚は人生の必然ではなくなった、したがって家族の価値は必ずしも高くなくなった、大衆教育がむしろ学問の地位を下げた、老人が尊敬されることはなくなった、政府や社会への信頼が薄れた・・・

       今の若い人は天皇制に興味を持っていない。だから、皇室典範の改正をどうでもよいと思っている人が多い。「今どき男が継いでいくなんてものがあるの?」と思っても、自分の人生には何の関係もない。また、欧米の圧力で捕鯨が規制されて久しいが、若者は「クジラなんか食べたことないから、食べたいと思わない」。戦後の餓鬼どもが、学校給食の鯨の竜田揚げを楽しみに生きてきたのを知らない。鯨肉は当時のたんぱく源として重要だったし、そもそもクジラは縄文時代から日本人の食料だったのだ。江戸時代でも、魚とみなされた鯨は四つ足動物とは異なり、高たんぱくの供給源だった。

       日米安保条約で自主防衛の観念を失ってから、防衛の分野だけでなく、文化的にもアメリカ追従をしてきた結果が、今ここにある。良いものもある。戦後しばらくはディズニーやポパイのアニメに感動して育った世代が、現在では世界一のアニメ大国を創り上げた。しかし、追従する体質は、議論を避け、追従するものに突進して過去を捨てがちだ。戦後採り入れられた少女漫画のヒロインたちの顔が、今も若い人たちの理想の顔のようだが、欧米流に目がぱっちりで長い睫毛、その代わり鼻と口はなくてもいい。浮世絵の美人画とは対極の顔である。

       アメリカファーストで世界秩序からアメリカが後退し、アメリカが定義する「権威主義国」が対峙する中で、グローバルサウスが勢力を上昇させている。西側諸国にも権威主義諸国にも与しない。グローバルサウスの代表はインドである。インドはネルー時代から一貫して第三勢力に属し、今も全方位に外交的発展をする。高市首相がモディ首相に「美しい妹」と呼ばれたのは通訳の間違いと判明したが、しかし、妹と呼んだことは確かだろう。インド人は大家族に育った人が多く、いとこやはとこまで、兄とか妹とか呼び合う。アジアの国として家族志向の強いインドは、家族の価値も失っていない、伝統価値の何も失っていない国なのである。

       日本も自主防衛を考える時が来ている。同時に、日本が持ち続ける価値について考える時でもある。

      •  日本の老人向け広告は、膝が痛い、腰が痛い、元気が出ない、…などの老人の訴えに対し、これを飲めば治ります、と結論を持っていき、結局サプリメントの広告だとわかる仕掛けだ。

         しかし、このところ、ユーチューバーが無名で出しているアメリカの老人広告が大量に視聴できる。内容は、90-100歳代の老人に「私の送る健康生活」というような内容で、多くは、施設に入るな、一人暮らしで好きなものを食べ、小さい子の見守りなど出来ることをし、誰に頼らなくても、うるさい栄養学のお世話にならなくても、元気に生きられる方法を伝えている。

         一つ例を挙げれば、103歳のおばあさんが、身ぎれいでしっかりした口調で話す。「私は、三食とも毎日、卵、肉、牛乳、じゃがいもの4種類だけ料理して食べて生きている。コレステロールがたまるだの、牛乳のような白いものは避けるべきだの、多様性のない食事は偏るだのとの助言はおせっかいだ。同じものを食べてもおいしくて栄養満点だ。味付けにレシピはいらない、塩をふるだけ」。

         サプリメントを飲み続けて、万が一効果があったとしても、人間はいつかは死ぬ。しかも、サプリメント以外の一日の生活をどうするかが問題なのだ。長年生きて自分でつかんだ健康パターンで生活を送ることの方が重要だ。別のおばあさんは、「ヘルパーの手を借りると、自分のやり方と違うので気に入らない」「子供の世話になると、若い人の輪に入れず疎外感を味わう」「施設に入ると、外の空気を吸うのも許可制になる」「シニア婚を勧められるが、相手に全財産を奪われた話をよく聞く」等々、真実をきちんと教えてくれる。

         日本も、サプリメントで生活を変えましょう、健康診査の数値を気にして生きましょう、・・・そういう言い方はもうやめるべきではないのか。自分の人生は自分のもの、医療者のためでも、政府のためでもない。ここまで生きてきたなら、頑固に自分流に生きることを訴える広告に変えてほしい。

         

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