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かつての企業戦士で家事育児は妻の仕事として疑わぬ「老境の戦後生まれ」が、日々無聊を持て余すうちに、「現在の心境はひとえに家族への感謝だ」という言葉を吐いた。今も男女の役割分担については疑いを持たないものの、妻の支えあって無事「老後の平和」を迎え、子や孫に関わることによって無聊の慰めを得、少なくともその人生のラストパートが送れるのは妻子のお陰だと初めて気づいた模様。
男が好々爺になるのはその瞬間だ。価値観は変わらないが、生まれ育った時代の価値観を体現して生き、社会から受容されて生きてきた男は、自己の人生に及第点をつけ、ニコニコして公民館での将棋同好会へ今日も出かける。妻はその夫に弁当を持たせ、昼間夫がいない間に、孫の面倒やフラダンス練習に出かける。
これは、当たり前の光景だろうか。否、である。第一生命保険会社など民間のデータを複数合わせ読むと、男性の厚生年金平均額は、専業主婦の場合22万円。また、社人研資料によれば、団塊ジュニアに当たる50歳時の未婚率は男性約3割、女性約2割である。だとすれば、悠々自適で、子孫に恵まれる老境は、結構高いハードルなのである。
それよりも、目につくのは、年金が足りないから貯金を下ろし続ける老人、建築現場の交通整理やスーパーのカート整理などをして生活費の足しにする老人の姿である。子供が結婚せず家にとどまっている老人、子供は結婚したのになぜか孫の報告がない老人、子供が離婚して出戻ってきた老人、子供が親と絶交して住んでいるところも分からない老人のストーリーが、むしろ幸せ老人よりも多いのが事実ではないか。
若いときの価値観そのままで好々爺となったのは幸せ過ぎると言ってもいいのである。女性の場合は、今の老人で言えば、多くは男次第の人生が多かったが、ともかくも子供を産み育てた経験があれば、その他のことは無視しても、生物としての「仕事」はやったわけで、好々爺ならぬ好々婆の言葉がないのは、みなが福福とした愛されるオバアチャンになれるからである。
好々爺にならなければ何になる?簡単だ。昔からよく言われる頑固爺になるしかない。頑固爺は昔の価値観を押し付けるので、「時代は変わった」と嫌われるのである。若いときの価値観で人生を成功することができなかった男は,オバアチャンとは逆に、家族と社会の嫌われ者になる。
戦後のデモクラシーの申し子が今や多くの頑固爺になっている。戦前の家族を否定し、それは合理的には正しかったであろうが、さりとて明快な哲学を以て子育てせず、即物的な豊かさを子に教え、その結果が未婚と子なしの世代をつくった。年金は少ないかもしれないが、ただでさえ苦しむ子供の世代にこれ以上の負担はかけられないし、幼いころの貧しさを思い起こせばそれでも糊口はしのげる。今の日本はもうそんな国なのだ。右肩上がりの行け行けどんどん時代の価値観は、戻っては来ない。
頑固爺は、死ぬまで、かつてかなぐり捨てた貧しさを味わいつつ、家族と子育てについて反省し、日本の将来につながるような遺言を遺し、新しい価値観を提言せよ。
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2026年に明るいニュースがあるとすれば、ダントツに、2月、イタリアのミラノで開催された冬季オリンピックで、りくりゅう(三浦璃来・木原龍一選手)のフィギュアスケート・ペアの金メダル獲得であろう。ショートの失敗に泣き崩れた木原選手を相手の璃来選手が「フリーは(他でもない)あなたのために滑る」と声かけて逆転金メダルを勝ち取った、出来すぎるほどの成功物語だ。
その二人が結婚する。命がけの信頼関係と、戦友として共にやり遂げた仕事。誰しもがうらやむ関係が結婚に至った。テレビの街頭インタビューで、三十代後半と思われる男性が「これで、結婚のハードルがますます上がった」と答えた。想像するに、やや焦り始めた結婚だが、「結婚とは固い絆を前提とするもの」「軽々しい結婚は好ましくない」という思いがけぬプレッシャーが彼に襲い掛かってきたように思われる。そうに違いない。
速報によれば、24年・25年の婚姻数が増えたため、今年前半の出生数が若干上がっているという。60年前の1966年には丙午の迷信で出生率が落ち込んだが、さすがに今年の丙午の日本に迷信は消え去った。だが、結婚に真剣さが求められるようになったなら、この傾向を楽観視できない。
二極化の進んだ日本では、誰もが喜ぶことを喜ばない人も出てきている。りくりゅうの喜ばしいニュースさえ誹謗中傷のネタになっていることを知った。ふと、養老孟司先生のユーチューブ講話で知った「不機嫌なおじいさん」を思い出した。昔から頑固爺は当たり前のように存在していた。好々爺になるのと同じくらいの割合で、「世の中面白くない」「俺にはちっともいいことない」「家族に大切にされていない」と愚痴っては、はた迷惑な行いをして困らせるおじいさんだ。おばあさんではないのが、かつて自分は偉かった、上司だった、ボスだったと自己認識のあるおじいさんによくあることだからだ。
実は本当に偉かったのではなく、偉くなりたかったが、なれないで燃え尽きずにくすぶって青壮年を過ごし、周囲や社会を批判することで老年期を過ごす、愚痴爺さんなのだ。SNSでりくりゅうを腐すようなひねくれ者は、若いうちから人生をあきらめ、爺さんになってしまった輩ではないのか。
養老先生を始め、多くの識者がユーチューブで老後の過ごし方を説いているが、若い人こそ見てほしい。ひねくれた不機嫌爺にならぬよう、若き日のやり遂げ感をいかにつかみ、いかに人と社会に感謝するか。それができて初めて、幸せな老後が待っているのだ。先ずは、りくりゅうの結婚が改めて結婚というものを、家族を創るということを人生における努力の成果であるとして考え、創り上げてほしい。
りくりゅうの結婚は、少子社会における真の意味での希望、つまり、努力して成し遂げる人生を示唆してくれたと信じてやまない。フォロワーたちが少子社会を返上する勢いまでになれば、これ以上のことはあるまい。
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もちろん、日本国憲法によって侵略戦争はしない、男女平等の実現など民主主義国家となって多くのものを得た。しかし、戦地に動員された人々の孫・曽孫の世代になった今、失うべきでないものも、何らかの理由で失ったことを知る。結婚は人生の必然ではなくなった、したがって家族の価値は必ずしも高くなくなった、大衆教育がむしろ学問の地位を下げた、老人が尊敬されることはなくなった、政府や社会への信頼が薄れた・・・
今の若い人は天皇制に興味を持っていない。だから、皇室典範の改正をどうでもよいと思っている人が多い。「今どき男が継いでいくなんてものがあるの?」と思っても、自分の人生には何の関係もない。また、欧米の圧力で捕鯨が規制されて久しいが、若者は「クジラなんか食べたことないから、食べたいと思わない」。戦後の餓鬼どもが、学校給食の鯨の竜田揚げを楽しみに生きてきたのを知らない。鯨肉は当時のたんぱく源として重要だったし、そもそもクジラは縄文時代から日本人の食料だったのだ。江戸時代でも、魚とみなされた鯨は四つ足動物とは異なり、高たんぱくの供給源だった。
日米安保条約で自主防衛の観念を失ってから、防衛の分野だけでなく、文化的にもアメリカ追従をしてきた結果が、今ここにある。良いものもある。戦後しばらくはディズニーやポパイのアニメに感動して育った世代が、現在では世界一のアニメ大国を創り上げた。しかし、追従する体質は、議論を避け、追従するものに突進して過去を捨てがちだ。戦後採り入れられた少女漫画のヒロインたちの顔が、今も若い人たちの理想の顔のようだが、欧米流に目がぱっちりで長い睫毛、その代わり鼻と口はなくてもいい。浮世絵の美人画とは対極の顔である。
アメリカファーストで世界秩序からアメリカが後退し、アメリカが定義する「権威主義国」が対峙する中で、グローバルサウスが勢力を上昇させている。西側諸国にも権威主義諸国にも与しない。グローバルサウスの代表はインドである。インドはネルー時代から一貫して第三勢力に属し、今も全方位に外交的発展をする。高市首相がモディ首相に「美しい妹」と呼ばれたのは通訳の間違いと判明したが、しかし、妹と呼んだことは確かだろう。インド人は大家族に育った人が多く、いとこやはとこまで、兄とか妹とか呼び合う。アジアの国として家族志向の強いインドは、家族の価値も失っていない、伝統価値の何も失っていない国なのである。
日本も自主防衛を考える時が来ている。同時に、日本が持ち続ける価値について考える時でもある。