大泉博子の

徒然草

DAILY
日々雑感
  •  松井秀喜がジャイアンツの監督に就任することになって日本中が沸いた。もう長らく、スポーツニュースは「先ず大リーグから」で始まり、日本のプロ野球が付けたりになって来た。平成しか知らぬより昭和文化を何らかの形で浴びてきた日本国民の方が多い事情を考えると、巨人長嶋茂雄の復活を彷彿とさせる松井巨人監督の就任は、古き良き時代の、上昇志向の時代の、繁栄の時代の、夢ある時代の復活をも感じさせる。

     単なるノスタルジアではない。戦後80年経っても、まださまざまの分野でアメリカに追いつき追い越せをやっている日本が猛省するチャンスの到来である。安全保障、政治、経済、果ては娯楽、スポーツもアメリカ追随をやってきた日本だ。アメリカは米中関係を軸に外交を展開し、すり寄る日本のはしごを外しかけている。アメリカの財務長官が「リフレを止めよ」と示唆すれば、積極財政の手を緩めなければならない。日本はそんな国だ。

     娯楽では、戦後長い間アメリカンポップスの日本語版が歌われてきたが、今は日本オリジナルであるものの歌詞が半分英語だったりする。アニメはすごい。世界を席巻するまでになった。アメリカの娯楽の王者ディズニーは、LGBTを意識するあまり、黒人の白雪姫を創るなど政治的配慮をするまでになり、かつての底抜けの面白さを欠く。日本は、娯楽の分野では一皮むけたか。

     スポーツは、国民的スポーツだったプロ野球の復活が大いに望まれる。球団は地域を代表し、地域ごとの競争は一憶二千万の人口を擁する日本の活性化に必要なのだ。地域自慢がイノベーションの活力になることも多い。ゴジラ松井が、暴れまわり、プロ野球がもっと人々の生活に馴染み、自らのアイデンティティを醸成してほしい。同時に、それはまた、アメリカ追随をやめぬ政治や経済を踏みつぶし、日本の再生につなげてほしい。ゴジラは、そもそも原爆を意味したと言われ、ゴジラを以て原爆を落とした国を凌駕しようとするのは、戦後80年の夢だ。

    •  かつての企業戦士で家事育児は妻の仕事として疑わぬ「老境の戦後生まれ」が、日々無聊を持て余すうちに、「現在の心境はひとえに家族への感謝だ」という言葉を吐いた。今も男女の役割分担については疑いを持たないものの、妻の支えあって無事「老後の平和」を迎え、子や孫に関わることによって無聊の慰めを得、少なくともその人生のラストパートが送れるのは妻子のお陰だと初めて気づいた模様。

       男が好々爺になるのはその瞬間だ。価値観は変わらないが、生まれ育った時代の価値観を体現して生き、社会から受容されて生きてきた男は、自己の人生に及第点をつけ、ニコニコして公民館での将棋同好会へ今日も出かける。妻はその夫に弁当を持たせ、昼間夫がいない間に、孫の面倒やフラダンス練習に出かける。

       これは、当たり前の光景だろうか。否、である。第一生命保険会社など民間のデータを複数合わせ読むと、男性の厚生年金平均額は、専業主婦の場合22万円。また、社人研資料によれば、団塊ジュニアに当たる50歳時の未婚率は男性約3割、女性約2割である。だとすれば、悠々自適で、子孫に恵まれる老境は、結構高いハードルなのである。

       それよりも、目につくのは、年金が足りないから貯金を下ろし続ける老人、建築現場の交通整理やスーパーのカート整理などをして生活費の足しにする老人の姿である。子供が結婚せず家にとどまっている老人、子供は結婚したのになぜか孫の報告がない老人、子供が離婚して出戻ってきた老人、子供が親と絶交して住んでいるところも分からない老人のストーリーが、むしろ幸せ老人よりも多いのが事実ではないか。

       若いときの価値観そのままで好々爺となったのは幸せ過ぎると言ってもいいのである。女性の場合は、今の老人で言えば、多くは男次第の人生が多かったが、ともかくも子供を産み育てた経験があれば、その他のことは無視しても、生物としての「仕事」はやったわけで、好々爺ならぬ好々婆の言葉がないのは、みなが福福とした愛されるオバアチャンになれるからである。

       好々爺にならなければ何になる?簡単だ。昔からよく言われる頑固爺になるしかない。頑固爺は昔の価値観を押し付けるので、「時代は変わった」と嫌われるのである。若いときの価値観で人生を成功することができなかった男は,オバアチャンとは逆に、家族と社会の嫌われ者になる。

       戦後のデモクラシーの申し子が今や多くの頑固爺になっている。戦前の家族を否定し、それは合理的には正しかったであろうが、さりとて明快な哲学を以て子育てせず、即物的な豊かさを子に教え、その結果が未婚と子なしの世代をつくった。年金は少ないかもしれないが、ただでさえ苦しむ子供の世代にこれ以上の負担はかけられないし、幼いころの貧しさを思い起こせばそれでも糊口はしのげる。今の日本はもうそんな国なのだ。右肩上がりの行け行けどんどん時代の価値観は、戻っては来ない。

       頑固爺は、死ぬまで、かつてかなぐり捨てた貧しさを味わいつつ、家族と子育てについて反省し、日本の将来につながるような遺言を遺し、新しい価値観を提言せよ。

      •  2026年に明るいニュースがあるとすれば、ダントツに、2月、イタリアのミラノで開催された冬季オリンピックで、りくりゅう(三浦璃来・木原龍一選手)のフィギュアスケート・ペアの金メダル獲得であろう。ショートの失敗に泣き崩れた木原選手を相手の璃来選手が「フリーは(他でもない)あなたのために滑る」と声かけて逆転金メダルを勝ち取った、出来すぎるほどの成功物語だ。

         その二人が結婚する。命がけの信頼関係と、戦友として共にやり遂げた仕事。誰しもがうらやむ関係が結婚に至った。テレビの街頭インタビューで、三十代後半と思われる男性が「これで、結婚のハードルがますます上がった」と答えた。想像するに、やや焦り始めた結婚だが、「結婚とは固い絆を前提とするもの」「軽々しい結婚は好ましくない」という思いがけぬプレッシャーが彼に襲い掛かってきたように思われる。そうに違いない。

         速報によれば、24年・25年の婚姻数が増えたため、今年前半の出生数が若干上がっているという。60年前の1966年には丙午の迷信で出生率が落ち込んだが、さすがに今年の丙午の日本に迷信は消え去った。だが、結婚に真剣さが求められるようになったなら、この傾向を楽観視できない。

         二極化の進んだ日本では、誰もが喜ぶことを喜ばない人も出てきている。りくりゅうの喜ばしいニュースさえ誹謗中傷のネタになっていることを知った。ふと、養老孟司先生のユーチューブ講話で知った「不機嫌なおじいさん」を思い出した。昔から頑固爺は当たり前のように存在していた。好々爺になるのと同じくらいの割合で、「世の中面白くない」「俺にはちっともいいことない」「家族に大切にされていない」と愚痴っては、はた迷惑な行いをして困らせるおじいさんだ。おばあさんではないのが、かつて自分は偉かった、上司だった、ボスだったと自己認識のあるおじいさんによくあることだからだ。

         実は本当に偉かったのではなく、偉くなりたかったが、なれないで燃え尽きずにくすぶって青壮年を過ごし、周囲や社会を批判することで老年期を過ごす、愚痴爺さんなのだ。SNSでりくりゅうを腐すようなひねくれ者は、若いうちから人生をあきらめ、爺さんになってしまった輩ではないのか。

         養老先生を始め、多くの識者がユーチューブで老後の過ごし方を説いているが、若い人こそ見てほしい。ひねくれた不機嫌爺にならぬよう、若き日のやり遂げ感をいかにつかみ、いかに人と社会に感謝するか。それができて初めて、幸せな老後が待っているのだ。先ずは、りくりゅうの結婚が改めて結婚というものを、家族を創るということを人生における努力の成果であるとして考え、創り上げてほしい。

         りくりゅうの結婚は、少子社会における真の意味での希望、つまり、努力して成し遂げる人生を示唆してくれたと信じてやまない。フォロワーたちが少子社会を返上する勢いまでになれば、これ以上のことはあるまい。

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