日々雑感

我々は森でなく木だけ見ているのか

 世界が中国と日本を取り残してパンデミックを終わらそうとしている今、課題はインフレ抑え込みと経済回復、気候変動の二つである。
 気候変動はトランプの退場もあって、科学者たちの一致した叫びが地球温暖化阻止のさまざまの政策へと導いている。しかし、今も地質学者は、6億年前から現在までの顕生代を通じて見れば、一貫して現在よりも温暖で二酸化炭素濃度は高かったと言う。最近1万年は、温暖で安定した気候にあり、その間に人類が高度な文明を築いた。例外的に幸運の時期にあったのだ。
 その気候は変動するのが自然であり、今後数百年から数千年の間には、間氷期が終わって氷河期に戻ると考えられる。温暖化は解消する。地球の大気の組成は、地球の構成要素と太陽系の環境によって決められているので、果たして産業革命後の人類の活動が二酸化炭素を増やし、温暖化を導いたと言えるのかは疑問である。
 勿論、地質学者の声はかき消されている。何百年何千年後に真実が分るものに対して政策が取り合うことはない。だが、神の目から見れば、木を見て森を見ずなのかもしれない。
 概して政策は刹那的な側面からつくられることが多い。ロシアや中国や北朝鮮の存在から防衛費の増大が決められる。人口は江戸初期と明治時代に増加し、既に戦争前から緩やかに減少を始め、団塊世代、団塊ジュニア世代を除けば、大きな増加要因は見当たらない。江戸時代の未婚率は半数にも及び、結婚しない・できないだけが現代の人口減少の理由でもない。よって、結婚させるための政策は大局を外している。
 核家族、ふたりっ子の「標準家庭」は戦後できた文化であって、歴史上稀な社会を実現させたのである。その文化が壊れると困るのは多分にノスタルジアからくるのかもしれない。程よい気候で文明を発達させた1万年の歴史を失いたくないのも、人類の勝手なノスタルジアだろう。
 ならば、何もしなくてよいと言うのか、と無知蒙昧の政治家たちが眉を釣りあげて、愚策を一杯並べ、その効果を根拠なく口だけで説明しようとする。じゃあ、アンタがた、コロナ対策は成功したのか。インドは一時期日に百万人の感染者を出したが、ワクチンも何も間に合わず放っておいたら集団免疫ができて、克服してしまった。
 少なくも、政策とは木を見て森を見ずの可能性が高いことを知りつつ、常により大局の観点を採り入れながら作るべきだ。それでも、神は、あるいは宇宙から見れば、人間どもの愚挙を笑っていることだろう。

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