無神論と啓蒙思想
上野景文氏のお話を聴く機会を得た。氏は、2010年、駐バチカン大使退任後、杏林大学を始め学問の世界に転じ、文明論の論客としてご活躍である。
氏の文明圏の三分類はユニークである。キリスト教圏、啓蒙思想圏、脱啓蒙思想圏がそれで、キリスト教圏は伝統・保守を特徴とし、啓蒙思想圏は人間中心で、自由と人権に価値を置く。脱啓蒙思想圏は、一番新しい存在で、自然を信仰し、地球環境問題に取り組む。
啓蒙思想圏は無神論者の集まりと言い換えることができる。アメリカを想起すれば、国内に約半分存在する啓蒙思想圏はもう半分のキリスト教圏といつも争うのが、中絶の権利である。中絶良し、女権良し、LGBT良しを基本とする。また、行き過ぎた脱啓蒙思想圏、つまり環境主義とも争う。地球「益」を否定するのではないが、国益とバランスさせることが重要と考える。
日本は調査によれば7割以上が無宗教と答える国である。国際比較では中国の次に多い(「日本人の宗教と文化」山折哲雄監修)。ならば、日本は啓蒙思想圏と言えるだろうか。もしかしたら、21世紀に入って、アメリカとの同盟を強化し、ロシア侵攻に強い違和感を覚える現代日本は啓蒙思想圏と言っても間違いではないかもしれない。しかし、戦後民主主義を標榜するようになって長い間、決して啓蒙思想圏ではなかったと筆者は考える。
ソ連崩壊後の90年代、世界の啓蒙思想圏が、共産主義への勝利を契機に資本主義的成長に乗り出したのに対し、日本は足踏みしたままだった。ちなみに、キリスト教圏と啓蒙思想圏の両側面を持つアメリカは、90年代、民主党のクリントン大統領の下で「経済だよ、経済」と号令を掛けられてイノベーションと経済成長に躍起となっていた。中国や新興国も伸びていった時代だ。
同時に、日本は少子化に気付き、人口減少が眼前に現れたにもかかわらず、啓蒙思想圏としての政策を打ち出すことができなかった。キリスト教圏の持つ保守・伝統主義よろしく、女性の高等教育や社会進出を咎め、母親礼賛ばかりで、国益につながる方法論を逸してしまったのだ。それが今日まで続き、保守・伝統の少子化政策を以て異次元と呼ばせようと無理をしている。
無神論者を突き動かすのは、信仰ではなく国益であるはずだ。外交こそは、21世紀になって改めてアメリカ選択を国益としたが、内政は何ら国益を考慮していないではないか。子供を産んだ数に応じて女性の年金額を加算せよ。女性の労働力を確かなものにするには、社会保育・教育の世界に高齢者の労働力を投入せよ。日本が舵を切ったことを示すために、象徴的な女性天皇を実現し男女平等を謳い、伝統より国益を世界に掲げてみせるのだ。
戦後80年近くたって、今こそ無神論の良さを発揮できる日本にしよう。最も伝統を重んじる歌舞伎界に起こった悲劇は、日本に伝統を捨てる時期が到来したことを告げる出来事なのかもしれない。世襲政治家も、電通を始め利権に群がる政治家家族の多い組織も退去すべき時だ。無神論国家日本は国益を国是としてやり直せ。