日々雑感

身近に子供の姿を

 郵便局人質事件は超高齢者の犯罪であった。彼自身は世間に怨嗟を持つ異常な人間かもしれないが、その背後には多くの孤独な老人が存在する。もし孤独で少ない年金だけで暮らす老人に日常的な役割が与えられたら、社会の安定に寄与するかもしれない。その地域資源はある。
 異次元の少子化政策は「失敗」の意見が趨勢だが、バラマキのための予算は安易に確保されるのではないことを考え、予算が少なくても有効な政策はある。それが高齢者を始め地域を巻き込む子育て支援政策であり、老人に役割を持たせる内容にすることができる。
 橋本真紀関西学院大教授によると、2012年立法の子供・子育て支援法に位置づけられた子供の世界は、幼児教育、保育、地域子育て支援の三分野である。これに対応する幼稚園と保育所は制度的に成熟化しているが、地域子育て支援の仕組みは、始まりは90年代だが、現在のように親子が気軽に利用できる形になったのは2002年頃からである。
 現在、児童のいない世帯は8割近く(2019)であり、子育て家庭の72.3%は他所から移転してきたため地域のマイノリティであり、孤立無援の存在である場合が多い。したがって、幼稚園や保育所に通う前、また育児休業中などでは、自宅とスーパーと図書館の三角形の間を行き来するのがせいぜいである。地域子育て支援センターは自治体が運営し、子供の遊びの場、親同士のコミュニケーションの場を提供し、行動を四角形に広げてくれる。全国で3,477か所ある(2021)。単純に市町村数で割ると、一市町村に2か所である。
 橋本教授は「地域子育て支援センターはインフォーマルなつながりや場というものを増やす役割」を果たす優れた事業と評価している。かつての日本社会では、インフォーマルなつながりや「場」は地域の中で自然に存在していたのだが、子供の数が減り、地域の関係が希薄になり、かつ郷土ではなく見知らぬ都会に出て生活する家庭が多くなったことから、インフォーマルや場も政策として提供しなければなくなったのだと言えよう。
 このインフォーマルの場に、付近の高齢者などが参加できる仕組みを加えるとよい。結婚しない息子のせいで孫に恵まれないおばあちゃんや暇をもてあそぶおじいちゃんがボランティアとして参加すれば、生活に心の和む時間をもたらすであろう。子供の存在は身近にいると心理的に幸福感をもたらすものであることは否定できない。
 高齢者参加の場と共に、地域子育て支援センターの役割は、子供の人格形成に複線化した効果を持つところにある。戦後の教育は、普通高校と、専門教育には短い大学教育の単線的な体系が出来上がり、就学前については、なぜか幼保一元化の叫びによって、圧倒的に保育所の拡大が行われ、ここも単線的な体系になってきた。皆が皆、同じ養育過程で「画一化した日本人をつくる」のでよいのか。
 教育体系の方では、早くからの職業教育や大学の概念教育の改正など検討すべき問題点は挙げられているが、幼少時の過ごし方についても、より多くの地域資源を使って子供の経験の数を増やしてやることが必要だろう。その点で、地域子育て支援センターは幼児期の複線化を図る一つの手段となる。
 地域、高齢者、子育ての拠点である地域子育て支援センターは、旧来の地域を失った日本の新たな地域づくりなのである。

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