日々雑感

地域社会への執念は無駄

 共働き世帯と専業主婦世帯がニ対一になった今、専業主婦を前提としたPTAや子供会などの地域活動が成り立たなくなり、やめるところも増えてきた。また、公民館を中心とする趣味の会などはお年寄りの集まりでしかなく、地域全体を巻き込む祭りなどはできなくなったところが多い。
 2015年のいわゆる増田リポートで謳われた「地方消滅」は推計や提言に批判が多いものの、地域のアイデンティティや地域文化という観点からは、現実化していると言える。人口維持も難しい中、文化的観点から、公民館活動やネットワークづくりを政策的に行っても、もはや焼け石に水としか捉えられない。
 これは歴史の流れの必然である。かつての農村では、農作業を協働し、共に豊穣を祝う祭りをし、隣近所との物々交換やサービスの交換は必要欠くべからざるものであった。しかし、現在では、農家の一軒一軒が自分のトラクターを持ち、進んだ資本主義の下では、原則として、必要な財・サービスは市場で売買する。
 賢い市町村が例えば子育て支援に力点を置いて移動人口を集めても、人口減少が前提の日本全体から見れば椅子取り合戦であり、政策不作の市町村は限界集落が進む。究極は就業機会の大きい大都市圏に人口は移動し、田園地帯の過疎化は避けられない。
 もう地域活性化政策はやめたらどうか。半導体工場の建設で新たな街ができるというような経済的理由があれば別だが、単なるノスタルジアで地域おこしをやっても成功は覚束ない。他地域から人を借りて祭りをやっても、その地域の祭りの独自の意味は失われる。日本全体の市場を使って、人の移動と財・サービスの獲得を任せるしかあるまい。
 90年代の橋本龍太郎政権に始まり、小泉純一郎政権によって増幅された市場原理化、徹底した資本主義化は当然に地域を壊したのである。人間関係で地域に守られて生きる時代は終わった。共同体のアイデンティティを共有して生きがいを感じる時代は終わった。今は、すべて市場でモノやサービスを求めなければならない。だから、皆が十分な財布を持たねばならない。
 岸田政権の当初の目論見は、成長と分配の好循環をもたらす新しい資本主義の実現ではなかったか。人々の懐を温かくし、有償となった「地域の便益」を皆が買える社会にするのではなかったか。政治とカネの泥沼を脱し、原点に立ち返って仕事をせよ、岸田首相。

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