官軍の歴史
半藤一利の近著「もう一つの幕末史」は痛快である。勝てば官軍の歴史に疑問を呈した。尊王攘夷の錦の御旗を掲げた「革命」は、実は、尊王でも攘夷でもなく、徳川幕府を倒すためだけの大義であった。その大義は、徳川慶喜が水戸藩出身の尊王派であり、薩長は英国と戦って歯が立たず攘夷を捨てたことも明らかであり、意味をなさない。
情報や人材で勝っていた徳川幕府がならず者の集団に負けたのが明治の御一新だというのが半藤氏の主張である。維新の志士たちは暗殺、自刃、戦死のいずれかの非業の最期を遂げ、長生きした人は少ない。徳川慶喜をはじめ幕府側の人物のほうが長生きである。その一人勝海舟は70代まで生き延びたが、しかし、4回も死にかけたそうだ。病で死ぬときに「これでおしまい」と言って死んだ。やり残したことのない素晴らしい人生のようだ。
明治維新は間違いなく革命である。中央政府に対して西日本の反乱軍が政権を奪った。その構図は150年経っても変わらない。150年間、政府は西日本のインフラ整備、医療・教育などの社会サービスの構築に一生懸命だったが、賊軍の住む東日本は開発が遅れた。未だにその差は開いたままだ。
筆者は東日本大震災を契機に東日本のインフラ整備をやり直し、150年の後れを取り戻すべきと主張してきた。そのために東北出身の総理大臣を望んだが、かなわなかった。長州・山口県は人口は130万のあまり大きくない県だが、総理大臣を8人も輩出し、道路の整備は日本一と言える。かかる集中的な開発を東北で行う好機が大震災であったのだが、捗々しくない。
半藤氏は長岡藩の出身だから、会津藩と並んで、官軍には恨み骨髄であろう。それに、明治以降、官軍の正当性が歴史の教科書になったから、佐幕派の地域の歴史は黙殺された。あたかも、戦後の歴史がアメリカン・デモクラシー一色になってアジアの歴史が黙殺されたがごときである。
教科書で習う歴史は、偏頗なものが固定化することはあり得る。中立を守ることは難しい。ただし、アジアの侵略戦争を否定し、教科書を書き換えようとする集団を擁護する気は毛頭ない。子供たちに検定教科書以外に多くの副読本を与え、「なぜ今我々はこのスタンスなのか」に深い思慮が及ぶ社会でありたい。
半藤氏の著作は、そのための快挙である。