モアイは語るか
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」は、日本語版の序文にこう語っている。「東アジア、太平洋から人類史を見るのは、日本人にとって、我々アメリカ人よりも親しみを感じるのではないか」。
しかし、太平洋戦争で多くの悲劇を生んだ太平洋の島々は、今、日本にとって、欧米大陸よりも外国である。古くは、漢民族の南下によって押し出されたアジア人が太平洋の島嶼に移動した歴史をダイアモンドは語るのだが、ポリネシア系の人々は我々モンゴロイドとの共通性を見いだせない。
オーストラリアで勉強をしていたころ、これら島嶼の学生はまことに勉強をしない。奨学金で来ているにもかかわらず、学位を取らずに遊学して帰る。彼らの祖先であるマレー人たちも同じで、マハティール元首相がマレー人優遇政策を採っても、勉強嫌いだから中国人やインド人に簡単に負けてしまう。
もしかしたら、こののんびりした性格は本来的なもので、個性を生かした文化を誇ったほうがいい。なぜ西洋人のように科学を発達させ、東アジア人のように追いつけ追い越せを人生にしなければならないのか。デモクラシーの価値観は今破綻しつつあるのだから、もういいではないか。
ただ、ポリネシアの東端、チリ領イースター島は、世界史に大きな教訓をもたらしたことだけは覚えておかねばならない。あの巨大なモアイ像を動かすために大量の森林を伐採し、環境破壊のために石器時代のまま歴史が止まってしまった。ダイアモンドはそう主張する。
部族の争いで目の部分は潰されているが、モアイ像のような顔は太平洋島嶼上のどこにでもある。顔が大きく、優しくて、あくせくしなくて、そのくせ民族紛争だけはやる、あの人々。西洋食文化に毒されてデブが増えた地域。
キリスト教でもない、デモクラシーでもない、グローバリゼーションでもない、今まで沈黙してきたモアイさん、環境破壊で自滅した地域の主張を教えてよ。