女性の生産性
日本のGDPは世界2位だが、国民一人当たりにすると27位。これが日本は生産性が低いと言われる所以である。デービッド・アトキンソンによれば、日本は国民一人当たりの数字で見ると、技術が高いわけでもなければ、ものつくり国でもない。その通りである。
彼の立論は、戦後の驚異的な経済発展は日本の人口規模の大きさによるものだと言う。1990年以降のデフレは人口減少が始まったことによる。明快だし、正しい。視点は違うが藻谷浩介も「デフレの正体」の中で、人口構造がデフレの原因としている。
確かに、1950年は日本の人口は世界5位だった。現在は11位。人口規模順位が落ちるにつけ、日本はあらゆる順位が下に行くようになっている。つまり、日本は言われているほど(希望的観測で)、特殊な国ではなく、ただ、規模の利益を発揮して戦後の発展をしてきただけなのである。
90年代前半までは、日本はアメリカのGDPに迫っていたが、今やアメリカは日本の4倍。アメリカは出生率も高いが、移民の受け入れで人口の社会増も多い。アメリカが一位を保ち続けたのは人口の規模である。やはり、人口を増やさねば日本はどんどん下位に落ちていく。欧州では、フランスは出生率向上政策で、ドイツは移民受け入れ政策で人口を保とうとしている。「日本は技術がある」は違う。中国と比べても仕方がない。もっと真面目に人口政策をやれ。
アトキンソンの指摘の中で、最も気になるのが、日本女性の生産性の低さである。男女賃金格差はどの国もあるが、アメリカなど先進国では、女性は男性の賃金の8割以上は稼いでいるのに、日本の女性は5割ちょっと。20歳代までは8割あるのだが、それ以降は、格段と落ちる。
理由は簡単だ。女性は非正規雇用が多いのと、いわゆる女性の職場の賃金が低いからである。保育や介護の職場がその例だ。もし、女性の賃金を一律男性の8割まで上げれば、日本のGDPは相当に改善されよう。一億総活躍社会とはそうすることではないのか。
しかし、ここでいつも議論のネックとなるのが、「女性は当てにならない」。一方で女性の方が真面目でよく働くとの評価もあるが、「子供を2人生んで4年間も育児休暇を取りっぱなし」「転勤や出張を断り、責任ある仕事を受けない」と否定論も根強い。
世界の女性が活躍しているのだから、日本の女性ができないわけはない。この際、女性も社会も考え方を変えねばならない。社会は「女性に任せてみる」勇気を、女性は「甘えない」ことを知らしめる。
つまらぬことだが、老婆心から「甘えない方法」を教えると、仕事をする姿で職場に行ってほしい。おすべらかしの髪形、ピンヒールの靴、長すぎるつけまつげ、悪魔のようなネールアート、その姿で働けるのかな、毎日電車で若い女性を眺めて思っている。私は、ただただ、女性がこの社会で活躍してほしいのだ。