日々雑感

ヒラリーの今後、そして・・・

 米民主党の大統領候補指名競争でオバマに敗れ、8年間待ったヒラリー・クリントンは「今度こそ、女性大統領」と信じたであろう。敗者の弁で気丈に語ったヒラリーは、若い女性に向かって自分に続くよう促す言葉で結んだ。
 キャンペーン中、何度も使った「ガラスの天井」。ヒラリーはついに最後の天井を破れなかった。米国の歴史にその名を「初の女性大統領」として残すことはできなかった。
 8年前のヒラリーは「次」を目指して、国務長官(外務大臣)の職を勤め上げた。しかし、ここでヒラリーは個人メールを使って発信したことが大きなマイナスになった。弁護士ヒラリーが何故そんな基本的な過ちを犯したのか。
 ヒラリーは、若き日に子供の権利を守る弁護士として活躍し、夫のアーカンソー知事選を助け、夫の不倫をも庇い、クリントン大統領の下で医療保険制度を作ろうとした(失敗に終わる)。名実ともに優れたキャリアウーマンであり、ウーマンリブの先頭に立ってきた。だが、今や、キャリアウーマンもウーマンリブも旧価値に属し、女性を鼓舞する言葉ではない。
 ヒラリーがさすがに4年後を目指すことはないだろう。なぜなら、ダークホースのトランプが選ばれた理由がヒラリーにあることを彼女自身も認識したからだ。人々は「ヒラリーでない人」を選んだのだ。大量の資金を集め、常に人の上に立ってきた姿勢を崩さなかったヒラリーは人々の心から外れていた。キャンペーン前に出版した「困難な時」などの著書は、国務長官時代の出来事の羅列で、退屈な内容だ。心を打たない。
 1970年代、ビル・クリントンと共に、大学のキャンパスで撮った写真のヒラリーは今とはまったく違う。ひっつめ髪にズボン姿。化粧はない。そう、同じころ、アメリカの大学のキャンパスにいた私もヒラリーと同じ格好をしていた。ついでに言えば、ビルはヒッピーのように髪を伸ばし、そのころの男子学生そのままだった。
 なりふり構わずに、弁護士になるために勉強していたヒラリーが、やがて、政治家の夫のためでもあるが、金髪に染め、化粧と派手な服で自分を変えた。そして「受ける立ち居振る舞い」「受ける話しぶり」を身に着けるうちに本来の質素なヒラリーの姿は失われた。いつしか仮の姿の本人が本物になっていった。
 私は、ヒラリーが今後どうするかを見守りたい。ヒラリーの気持ちの少しを私も共有するからである。思い切って官僚を辞め、衆議院議員は一期で終わり、人口23万の首長選にも敗れた。ヒラリーとは比べ物にならないが、同世代の女性として、1970年代の原点に返り、新しい価値を創造したい。
 蛇足だが、もしかしたら日本のヒラリーになるかもしれなかった元検事で弁護士であった佐藤欣子さんのことを書く。最近ひょんなことから、74歳で亡くなって8年余になる欣子さんの思い出話をする機会があった。欣子さんは、1980年代は、間違いなく「日本をリードする5人の女性」に入っていた。しかし、中曽根総理のバックにも拘らず、1989年の参議院選挙に落選し、欣子さんは二度と政治を目指すことはなかった。
 欣子さんの無念の思いを私は深夜にかかってくる電話でいやというほど聞いた。欣子さんは、もしかしたら総理を目指したかもしれない女性だった。東大法学部時代は、ヒラリーと同じく、同じ服で勉強ばかりしていたそうだ。その後の欣子さんは、反動的に、外見にこだわり、化粧や服装が派手であった。保守の論客で強面の議論をする欣子さんは決して女性の人気者ではなかった。ヒラリーと重なるところがあり、それをきっかけに欣子さんを思い出したので、ここで哀悼の意を表したい。
 アメリカは女性の社会進出層が厚いが、日本は極めて薄い。21世紀の新たな価値創造に、再び、これまでとは異なる女性の社会進出の在り方を課題とすべきである。

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