こういう見方もある
昨日、都内某所で、村田光平元スイス大使の「世界の政治は母性文明に移行する」という趣旨の話を聴く機会があった。村田氏は、父性文化と母性文化の例を多く挙げ、父性文化である軍国主義と経済至上主義が破局をもたらし、生命重視の母性文化による政治に代わると説明。その流れはオバマが作ったとのこと。
間違ってはいない。学問的手法ではなく、世界を歩いた教養人としての外交官人生から得た結論であろう。この話を聞いて、外交官OBにもさまざまな方がいると改めて思った。保守論客の宮家邦彦、岡本行夫から、革新論客の孫崎享まで、ビジネス界とは少し離れたところで政治社会を考察する恵まれた経歴を活かしての人材だ。
村田氏は、因みに核廃絶論者であり、そのベースの哲学に母性文化を充てた。母性文化はイコール女性文化ではないとしながらも、女性が多い「環境保護、核廃絶」の市民活動に資する考え方だ。村田氏の予言する方向に行くかどうかは定かではないが、父性的な(エスタブリッシュメント的な)ヒラリーが敗れ、母性的な(保護主義的な)トランプが勝って、そのものの見方は、示唆的ではある。
村田氏の「学問」は強いて分類するならば、国際比較文化論に該当する。筆者が、オーストラリアで国際関係を勉強している頃、アジア経済危機、アジアの紛争、国際関係理論以外に、国際文化比較論「国際政治における倫理と文化」のクラスも採った。こういう内容は何故か女性の研究者が多く、残念ながら、最も面白くなかった。
それは、あたかも、マーガレット・ミードの文化人類学が実証なき学問として評価が落ちたように、社会科学としての手法に疑問を感じてならない分野であった。定性的な観察結果を理論と称し、「日本は、ドイツのようなキリスト教国と異なり、戦争の謝罪ができない国である」と結論した。私は、その結論にクレームしているのではない、学問の手法がどこにあるのかと疑問を呈しているのである。
話を戻すと、日本が母性文化の国(母系社会)であることは認められた事実である。千年以上の通婚社会、父系母所の子育ては揺るがざる証拠である。しかし、母系社会に母系文化の政治社会が現れるかどうか、もっとデータ収集と研究をする必要があろう。