国連女性の地位委員会に向けて
来たる三月、国連女性の地位委員会にNGOの御招待で参加するため、そろそろ準備をしなければと思い始めたが、男女共同参画の歴史を振り返ると、日本が、女性の社会進出に成功していない理由が多く思い出される。芳しい分野ではない。
国連主催の世界女性会議は、1975年のメキシコに始まり、デンマーク、ケニア、北京の4回は、日本のマスコミは大きく取り上げてきたが、その後の活動は、日本の男女共同参画政策の低迷と相俟って、あまり騒がれなくなった。他の分野と同様に、日本は先進国に追い付き追い越せをやって来たが、残念ながら、女性の社会進出に関しては、未だ追いつくことのできない結果になっている。
90年代、男女共同参画が勢いを持っていた頃、「女性にできないことはない」の理屈に加えて、「男性が家事子育てをやらない、セクハラをする」という男性攻撃の趣旨も多く含んでいた。ひいては、その男性の在り方が少子化現象をもたらしたとの説明までされていた。
現実には、それは正しくない。データ分析でそういう結果は出ていなし、現在の常識では、学歴の上がった女性と釣り合う男性の数が相対的に減って、結婚できなくなったのが少子化の原因だ。男性の習性を変えることに期待しても、それが少子化や社会構造に影響を与える度合いは少ない。
やはり、男女共同参画という考え方はイデオロギーが先行して、女性の社会進出にはそれほど役立ってこなかったのではないか。日本の特徴をもう一度考え直してみる必要がある。日本女性で活躍目覚ましいのは、キャスターのような人の目に写る派手な分野出身の人である。医師・弁護士のような資格を要する職業の女性も増えたが、その伝統分野では、なかなか頭角を現せない。世の中に躍り出る可能性の高さから、優秀な女性が目指すのはキャスターやアナウンサーだ。
これに対して、アメリカでは、ヒラリー・クリントン、ジャネット・イエレン(FRB総裁=中央銀行総裁に該当)、シェリル・サンドバーグ(フェイスブックCOO最高執行責任者)などハーバードやイェールで成績優秀を修め、社会のキャリアラダーを上り詰めてきた人々は地味な職業生活から出てきた。それはとりもなおさず、女性のすそ野が広いことを意味する。日本女性も美貌とセットの派手な職業ではなく、もっと地道な職業を選び、すそ野を広くしてほしい。
何よりも重要なのは、トップの女性づくりよりも、女性の多い職場、保育所、病院、介護施設で働く女性の処遇改善だろう。女性の社会進出というとき、トップの女性を象徴的につくるのだけが仕事ではない。すそ野の足腰の強い女性の集団を作っていくことが最も求められている。
そして、もうひとつ。女性の社会進出と少子化を下手に結び付けないことだ。少子化は少子化で別の手を打つべきである。