日々雑感

男女共同参画のマンネリ化

 第61回国連女性の地位委員会は、3月13日国連本部で開会した。翌14日には、ニューヨークは大雪に見舞われ、会議は一日閉鎖された。委員会には同時進行のNGO主催のイベントが100近く開催される予定だったが、この日は全てキャンセルになった。
 私は、NGOの招待で参加を得た。開会式は、政府代表の集まる会議場ではなく、モニタリングルームで聴いた。
 1946年、国連の経済社会理事会(ECOSOC)によって創設された国連女性の地位委員会は今回で61回目を迎え、20世紀には、もっと発信力のある世界女性会議を催した(75年、80年、85年、95年の4回)。80年のコペンハーゲンでの世界女性会議には、若き日の私は、政府代表団の一代表として、女子差別撤廃条約の署名を見届けた。男女平等の実現は、かくも長年にわたる国連のテーマである。
 今回の開会式では、ブラジル代表が議長に選ばれ、アントニオ・グテーレス国連事務総長、経済社会理事会代表、ILO代表、世界各地域の代表などが演説をした。メインテーマは、「変化する仕事の世界における女性の経済エンパワーメント」。分かり易く言えば、女性の労働市場での活躍と言えよう。
 このテーマの下では、日本は先進国の中で最も遅れている指標を持つ。GGI(ジェンダーギャップ指数)は144か国中111位であり、経済、教育、保健、政治等の総合指数で男性との差が大きいことを表している。日本の女性の平均賃金が男性の50%台であることが影響している。欧米では80-90%台である。
 日本や韓国は、出産・子育て時期に女性が労働市場から遠ざかるM字型カーブで有名だが、これを「お国柄」と認めるのか、それとも先進国の指標に近付ける努力をするのかが問われる。日本の国内総生産は、この20余年伸び悩み、アメリカと中国に大きく水をあけられているけれども、女性の平均賃金を欧米並みに引き上げるだけで、国内総生産は上昇することも考慮しなければならない。
 今年1月1日に就任したばかりのポルトガル出身グテーレス国連事務総長は「私は(残念ながら)男です」と笑いを取り、「女性の権利は人権だ」というところで拍手が起きた。この言葉はヒラリー・クリントンも使ったことがある。グテーレスは一見したところ親しみやすく、英語も分かり易い。前総長の潘基文氏は、英語も下手だし、英エコノミスト誌などに最悪の事務総長と書かれ、評判は散々だったが、グテーレスはいいスタートを切ったのではないかと思われた。
 もちろん、シリアなど紛争に取り組まず、韓国人脈を国連に引き入れた潘基文前総長に対する批判を踏まえ、グレーテスが紛争などをいかに仕切るかが期待されるところである。
 紛争問題などに比べると、男女平等の問題は、些かまどろっこしい。1975年から85年までの「国連婦人の10年」の時期には、男女平等は輝かしいテーマであったが、先進国が女性の社会進出を果たしてきたのに対し、特にイスラム圏やアフリカなどは古色蒼然の女性差別から抜けきらないままだ。ノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララさんが「女子にも教育を」と訴える事実は、先進国にとっては遠い昔のことだ。
 日本は日本で問題を抱える。男女平等を男女共同参画と言い換えた現今の状況は、21世紀に入ってバックラッシュに遭い、雇用機会均等法以来の大仕事はできていない。掛け声で空回りしている世界だ。それは、国連の会議も同じ。皆が皆、同じようなことを演説している。しかも、スライドも何もない、ただ抽象的な演説を代わる代わる行う、方式としても遅れた取り組みだ。
 国連の議論に負けず劣らず、国内における男女共同参画は、ますますのマンネリ化を感じてならない。そして、テーマに事欠いて喫緊の課題である少子化対策と関連づけることは避けるべきだ。日本が一番遅れている労働市場での問題を制度的に取り組むことが必要だ。やるべきことを間違えてはいけない。甘ったるい「女性が活躍する社会」の作文は要らない。

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