Society 5.0
総理が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議の常勤議員である元東北大教授の原山優子氏からSociety 5.0(ここでは5.0と略す)の実践についてお話をお聞きした。
5.0の定義は第5期科学技術基本計画によれば、「超スマート社会のこと。必要なもの・サービスを、必要な時に、必要なだけ提供し…<中略>…活き活きと快適に暮らすことのできる社会」である。
多くの人にとって初耳ではないだろうか。しかし、経済財政諮問会議の2017年骨太方針にも言及され、日本経済再生本部と日本経済団体連合会の2017年の方針にも反映されている。れっきとした我が国の政策目標である。
具体的な実践例では、AI(人工知能)を使って、事故なく快適にドライブすること、ロボット介護、多様なニーズに合ったものづくり、消費者に農産物の適時自動配送、アレルギー回避の食品提案、スマホによる確実な防災情報、需給調整しつつ電気の安定供給など広い分野にわたる。つまり、AIをど真ん中に置いて、確実性、計画性のある社会が5.0と言うことができよう。
これらの中身は技術的には既にあるものばかりで、システム化できるかどうかの問題であるように思われる。システム化は、人々の生活に関わる技術ばかりであることを考えると、政府よりもむしろ地域あるいは地方公共団体主導で実現すべきではないか。
36年前に筆者が住んだ都内恵比寿の家では、既にすべてが全自動になっていた。帰宅前に冷暖房が入る、洗濯機は全自動で乾いた衣服が出てくる、ガーベッジデスポーザー(ごみ処理機)付きの流し台でゴミを出す必要がなかった。しかし、電気代は膨大だったのと、洗濯した衣服はすぐに傷み、また、ごみ処理機は子供を近づけないようにしないと危なかった。さまざまの理由があって、36年前に技術的には既にあった「超スマート生活」は全国的に流行らなかった。
東日本大震災の時も、実はスマート生活をしている人ほど大変な目に遭った。オール電化した家では、停電の最中、家の中で暖を取れずに車の中で過ごしたという。水道が止まって、井戸を残した家に人々は水をもらいに行った。
超スマート社会を実現するには、低コストでなければならないし、震災などの事故の場合の対応まで含めたシステム化を図らねばならないだろう。さらに、人口減少社会で人が減っていく地域で、よりスマートに生きたいというモチベーションを維持できるかという問題もあろう。5.0に乗り出す地方公共団体がどれだけいるのか少々心もとない。
それにしても、政府の宣伝は足りないのではないか。経済政策3本の矢の3番目、成長戦略が何も功を奏していない。5.0はシステムのイノベーションだが、新たなイノベーション産業と並んで、これも成長戦略の要となる。ならば、もっと堂々、政策として広め、大型予算を組むべきではないのか。5.0なんて、誰も知らないよ、安倍さん。
そして、日本が目指すのは5.0だと国際社会に向かって叫ぶべきだ。既に、G20、OECD、G7などの科学大臣会合で表明していると言うが、話題に上らない。マスコミも書かない。お隣中国では、アメリカがグローバリゼーションから脱退したのをいいことに、一帯一路の国際戦略をぶち上げている。もともとは、TPPによって太平洋沿岸が日米のルール化されるのに対抗して、ユーラシアの内部やアフリカの中国ルール化を狙ったものだが、貿易だけが目的ではない。周辺のインフラ開発に乗り出し、そのためのイノベーションにも巨大な資金を投入している。
中国の研究開発費のGDPに対する割合は、日本を抜き、アメリカも抜こうとしている。最近、ニューズウィーク等いくつかの経済誌が中国が研究開発をリードし始めたことを書いている。日本人は言う。「何、共産国家で自由に研究のできない中国なんか大したことないよ。ノーベル賞だって今までたった一人だ」。確かに、火薬の発明など唐時代に科学の先進を遂げていた中国は千年以上、この分野では眠り続けてきた。だが、侮っていいのか。
世界の人々は一帯一路は知っている。が、Society 5.0は誰も知らない。日本人、もっと頑張れ。