日々雑感

政治は科学を評価できるか

    前回、オゾン層破壊予知でノーベル賞を受賞したマリナ・マリオ教授の「気候変動の神話」を記した。そのあと、地球物理に関して2つの研究会での話を聴く機会を得た。一つは、防災科学技術研究所の藤原広行研究部門長による最新の防災技術、もうひとつは、山本幸一東大名誉教授の環境危機である。
 前者については、防災科学技術の水準の高さを認識することになったが、国立研究所は国策研究であるので、災害の度に「政治的課題」が重要になる。したがって、地震予知学は良く知られるが、必ずしも基礎研究を重視できるのではないことも知った。
 何よりも問題なのは、政治が政策研究の結果を有効に活用していないと思われることだ。南海トラフ地震の予知について国民に警告する以上の政策は見えない。もし、環太平洋地域が地震多発地域であることが明らかであるならば、日本海側に経済圏を移すなどのダイナミックな政策が現れても不思議ないのではないか。対米貿易が縮小し、対中国貿易が最大規模となった今日では、太平洋側の海上物流が衰退している事実などから考えても、日本列島の経済拠点分散など大きな選択をすべきではないのか。
 後者について、山本幸一名誉教授は、CO2上昇と異常気象の危機的データを示しながら、今、地球を管理しなければ20~30年も今の環境はもたないであろうと警告をする。科学者の認識はほぼ一致しているが、文系の人間がその楽観視で政策選択の障害となっていると明言する。確かに、日本社会では、多くの組織のトップは文系であり、世俗的な選択が優先される。
 歴史的には、科学は宗教に勝って、今や間違いなく最も信頼される「道具」だ。しかし、科学にとって残った敵がある。それは、政治である。科学の結果は、民主主語のルール、つまり51%の賛成があって初めて実現されるのだ。科学は実証できれば100%の正しさを誇るのに、政策選択の段階で、51%の反対があれば実現しないのである。
 理数の論理やプロフェッショナリズムよりも、選挙に受かるための修行ばかりで成り立つ政治集団は、政策選択を誤っていくだろう。他方、科学者もコミュニケーション能力を欠いていないか。「これが分からぬ者はバカ」と諦めるのではなく、自ら政治に出てきてほしい。政治家の選出も、部分的にせよ、プロフェッションを重視した方法を取るべき時代が来たと思う。

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