広井教授の「夢人口」
広井良典京大教授の近著「持続可能な医療」は、サイエンス、政策、ケア、コミュニティ及び社会保障の観点からの論理的な現状分析の後に、死生観としての医療が書かれている。この最後の部分に、もともと科学史・科学哲学を専門とする彼の本意が現れる。事実と論理を重ねた最後に、少し煮え切らないが「新理論」を掲げたのである。
広井さんは、実は厚労省の後輩である。かつ、東大教養学部の後輩でもある。厚労省で出会った数々の人の中で、彼は、間違いなく突出した逸材である。官僚生活は10年で辞め、研究の道に入ったが、著書は多く賞にも恵まれている。彼の書くものは心躍る理論があり、説得力を持つ。チマチマとした社会保障論を嫌い、科学の歴史からみた現在の分析と認識を見事に与えてくれるのである。
彼によれば、人類社会は何度か繁栄の極に達すると、定常状態になることが繰り返されてきた。たとえば紀元前5世紀ごろは定常状態になり、この時代に、仏教、儒教、旧約聖書、ギリシア哲学など今日まで続く世界の文化が生成された。現在の世界は、人口と、資本主義による経済成長が定常状態に入りつつあり、日本はその先陣を切っている。
この定常状態の中で、かつてのように、新たな哲学のシャワーが降り注ぐだろう。その一つが、医療や生き方の根本となってきた「生産者中心の仕組み」を変えねばならないということだ。広井さんは、現実に直視してすべきことは、高齢者には医療以前の「居場所」の解決を、そして若い世代には富を使う社会の構築を急がねばならないと主張する。むべなるかな、である。
高齢者と子供を合わせて従属人口が形成されるが、団塊世代が子供のころは圧倒的に子供が多かった。今、従属人口の構成は圧倒的に高齢者が多くなっている。広井さんは言う。子供も高齢者も、社会の生産者になりきらない「夢」の存在、つまり、夢うつつの状態に位置し、子供はやがて夢から覚めて現実社会の構成員となっていき、高齢者は死の世界にいざなわれる。
広井さんは、従属人口を「夢人口」と名付けた。子供は未来を夢み、高齢者は、次第に夢と現実の境がなくなり赤子に戻って、夢でしか知らないあの世に去る。ワーオ、いい命名だ。筆者もそれに近いことを常々考えてきた。現役時代は現実に即した夢しか見なかったものを、現在は、夢と現実が全く違う世界になっている。だから、高齢者は夢うつつで生きているようなものだ。
夢人口に属していることは実は幸せなのだ。子供は敗れるかもしれない大きな夢を将来に託す。高齢者は「脳が見た現実の夢」を離れ、新たな夢の世界に入る。高齢者にとっては、生産者のための急性医療ではなく、夢に入るまでのこの世の居場所、それは、雇用なのか別の形の社会参加なのか選択肢は多くあろうが、それを整えるほうが重要なのだ。欧州の地方都市は、街を歩くだけで、人と会い、座り込み、日がな一日静かな喜びに満ちている。そのような場をつくることの方が急務ではないのか。
他方、生産者となるべき子供には、医療も教育も十二分に機会を与えねばなるまい。消費税を引き上げても、教育に使うとした安倍さんは正しい。だが、一方で、借金返しもしていかねばならない。なぜなら、ツケを払うのは今の子供たちなのだから。相続は猶予を与えずに税金化する、高額な年金の課税をする、老人医療の診療報酬減額など、選挙のためできなかったことを、やるべき時が来た。