安倍政権と官僚・天皇
文科省の行政が停滞している。言うまでもなく、重なる幹部の逮捕である。司法の裁きがあるまでは、「だから、文部省は・・」というのは早い。
文科省や厚労省のような非経済官庁は、経済官庁と違って、なべて人材はおとなしく、仕事も私生活も慎重である。出来そうもないことにもチャレンジする経産省や政治家を掌にのせる財務省のようなダイナミズムはない。
しかし、文科省(旧文部省)は2001年、科学技術庁を合併してから変化していると思う。理系の技官の存在によって、仕事が精緻になり、前向きの姿勢が見える。(従来、そうでなかったわけだ)。イノベーションが日本の存亡にかかわるようになり、科研費の拡大・配分を担う文科省の役割が大きくなったのである。
科研費と直接関係はないが、文科省が最近始めた「訪問型家庭教育支援」は、従来学校教育と家庭教育に境界線を引いていた文科省が積極姿勢に変わり、地域や家庭に出ていくことを決意した事業である。教員OBばかりでなく、保健所や児童相談所などの厚労省のインフラも使い、虐待などの今日的課題に、文科省が乗り出す。
これからは、少子化対策も、産む性の教育、教育無償化など文科省の役割は厚労省よりも大きくなると思われる。「いよいよ文科省の時代」という矢先の幹部の逮捕。文科省課長級40人が自ら改革を図ろうとする動きもあるそうだが、必要あれば、政治とも闘わねばならない。森友・加計でもつまづき、全てが官僚の矜持崩壊ゆえと国民に解されぬよう、勇気を出してほしい。
最近は、安倍一強の下で、政権に対抗できる人は少なくなった。学者も然り、である。民主党時代の御用学者は、民主党に呆れて離れてしまった。その中で、最近、「国体論」(集英社新書)を著した白井聡先生(京都精華大学)はすごい。4月刊行で既に7万部となるこの著書は、前著「永続的敗戦論」に書いた、今日まで続く対米従属論の続編である。
この中で、面白いのは、2016年8月の天皇辞意の「お言葉」を、終戦を導いた「玉音放送」に匹敵する今上天皇の意思表明と解し、暗に今上天皇が「マッカサーが昭和天皇の上にいたように、日本国民統合の象徴は私ではなく、アメリカだ」という趣旨を内包していると言う。しかも、このお言葉は安倍首相にとって「不意打ち」だったのである。
お言葉は、完全に天皇の私的な言葉ではありえなく、国事行為に準ずるものだから、内閣の助言と承認に基づいて行わねばならない。もし、不意打ちならば、お言葉そのものが憲法違反になってしまう。天皇はそこまで覚悟して発言したと白井先生は言う。
白井先生は若くて頭の回転が速く、清々しいお方だが、舌鋒は鋭い。安倍政権は、弱すぎる野党と、総裁選を降りた宏池会のような優柔不断の自民党によって支えられている。しかし、天皇や官僚をもっと大切にしたほうが良いのではないか。筆者が安倍首相に提言するようなことではあるまいが。