日々雑感

多党化時代の政治

 2024年は選挙の年だった。都知事選、総選挙、兵庫県知事選は従来とは次元の異なる結果をもたらした。さらに、アメリカ大統領選挙もまた異彩を放つ「出来栄え」であり、日本にも選挙とは何か、民意とは何かの大きな影響を与えた。
 では、何がそうさせたのか。人々は「長いものに巻かれろ」を辞めた。だから、選挙の様相が変わったのだ。「普通の人」は自民党に投票するはずだった。マスコミや定番のコメンテーターは「長いもの」の考え方を提供したが、人々は乗らなかった。
 SNSやユーチューブは、マスコミに勝った。マスコミと定番コメンテーターが作り上げた敵の構図を唯々諾々と飲まなかった。既存のマスコミなどは、都知事選の石丸現象も、総選挙の多党化も、斉藤知事の圧勝も予測できなかった。さらに、アメリカ大統領選でも、民主党系のワシントンポストやニューヨークタイムズを鵜呑みにして事実と異なる「接戦」を報じ続けた。
 総選挙の結果は多党化である。自民が負けたことは事実だが、立民が勝ったのではない。立民は、これまで小選挙区で負かされてきた相手が勝手に票を減らしたので議席を50も伸ばしたが、比例票は変わらない。つまり敵失で勝ったものの、立民支援者は一定のグループに限られている。
 組織票がベースの公明と共産はそれぞれ110万、80万も票を減らした。組織の高齢化や組織離れに歯止めがかからない。代わって出てきたのが、自民党を代替する国民民主党と共産党を代替するれいわ新選組だ。結果は、国民がどの政党も圧倒的に支持せず、多党化し、政治のカオスを招いたということになる。
 このことは、日本の政治状況が欧州に似てきたと言える。90年代ソ連の崩壊とともに欧州では社会民主主義系が台頭したが、日本では、細川連立政権が文字通りの短命で終わり、アングロサクソンを真似た小選挙区政権交代システムは、一度だけ成立した民主党政権の失政によって長続きはしなかった。その日本が、ドイツやイタリアのように、連立でしか内閣を作れない多党化に向かい、ようやく世界の潮流に追いついたとでも言うべきか。
 手取りを増やすのフレーズで若者の票を獲得した国民民主党に自民は媚を売ればよい。同時に、石破首相は自民の中で政策実行が不可能ならば、野党に働きかければよい。選択制夫婦別姓も、相続税・金融所得の課税強化も、女系天皇も、野党が一丸となれば実現できる。それは皆、石破首相のやりたいことではなかったか。日米行政協定の改正はハードルが高いが、今できることは多い。
 自民党内ですべて首相の意思を消してかかったが、石破首相はわずかに残った地方創生に逃げ込むのはやめるべきだ。この政策は過去も今も全く成功していない。野党に働きかけ、ダイナミックな政策を実現する首相にならなければ、長い間待った甲斐がないではないか。トランプにも既に蹴飛ばされ、外交の場のふるまいを揶揄される首相は昭和垢のついた優柔不断男になっている。森山幹事長に安楽死のクスリを飲まされて早期に退却するシナリオでよいのか。
 総選挙は政治のカオスを招いた。しかし、多党化時代ならではできることもある。

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