貴乃花は人生相撲に勝つ
オリンピックが近いことと関係あるのか、最近はスポーツ界のパワハラとガバナンスの問題が次から次へと報道のターゲットになっている。レスリング、ボクシング、アメフト、体操、・・・就中、相撲は国技であり、日本社会の問題と言っても過言ではない。
筆者はスポーツの世界には疎い。しかし、今や、スポーツ界の問題というよりは、日本の会社組織にも通ずるガバナンスのあり方が問われている。貴乃花が投げかけた問題は、どこの会社にも存在する。「全て前例に従えではなく、合理的に判断し、もっと組織の風通しをよくしたらどうか」とは、つねに若い人が上司に向かって進言してきたことであろう。上司は、これに応えず、人事で彼を干すという姑息な報復をする。
貴乃花は何度も同じ進言をしつつ、ついに疲れた。降格人事や、一門に属さない彼の道を閉ざすルールがつくられ、「もはや、これまで」と引退を決意したのだ。マスコミは賛否両論で、「一本気の改革派」と好意的にとらえる場合と「協会とうまくやりつつ、自分の我がままよりも弟子を大切にすべきだ」と彼の攻撃に回る場合とがある。
貴乃花がすべて正しいかどうかは不明だ。しかし、彼は、会社に合わないからすぐに辞める今風の新入社員ではない。国民の歓喜をもたらした大横綱を全うし、一代年寄株を得て、自らの相撲道を実現したかったのだ。日本のため、日本人のため、だ。彼は入門して既に30年の年月を経ている。これだけの経験者をそして偉丈夫を「もっと周囲とうまくやればいいじゃないか」の意見で片付けようと言うのか。間違いだ。
20年以上も前、筆者が厚生省の課長だった五月の子供の日、貴ノ浪関(故人)が厚生省前玄関の鯉のぼりを挙げに来た。その年の初場所優勝者がその任に当たるのが慣習となっていた。貴ノ浪は20歳ちょっとで、筆者の年齢の半分以下だったが、食事をしながら聞いた勝負師の哲学は、身も震えるほどすごいと感嘆した。豊かな言葉遣いや身に付いた人生哲学に「成熟」を見た。役人人生の筆者が幼く思えた瞬間だった。
道を究めた人を悪しざまに扱ってはいけない。貴乃花は必ずや人生相撲に勝つ。社会は彼を十二分に受け入れ、応援すべきである。