発達心理学を政策に活かせるか
最近、発達心理学者の渡辺弥生法政大学教授の話を聴く機会があった。子供の認知の発達は、鏡の中の自分が分かる、ずるいと思う感情、嘘をつくなどから、段階を経て成長するのが観察できる。9歳の壁があって、他者との関係、道徳、過去未来の意識、抽象的思考が芽を出す。この時期、聴覚障害の子供は発達において困難な状況を迎える。とりもなおさず、この時期はコミュニケーションが重大な道具となるのである。
感覚的には分かっていることだが、専門家はデータで事象を科学する。筆者はおよそ心理学を勉強したことはないけれども、納得のいくお話しであった。では、発達心理学の成果は政策に活かされているのかと渡辺教授に問うと、先生は「そこが心理学者の弱いところ」と答えた。つまり、データ分析に留まり、行政に働きかける動機には欠けるということだ。
文科省でも厚労省でも、審議会に発達心理学者は入っているだろうが、確かに、それが、学習指導要領や福祉サービスの内容に具体化されたのは目にしない。「心」を強調する学者は多いが、この抽象概念は政策化できないのである。
子供だけではなく、老人についても、老年心理学の分野がある。認知症のケアに、老年心理学を活かした現場レベルでの対応はあっても、政策がそれによってできているわけではない。現場でも、老年心理学の応用は手探り状態であろう。
ノーベル生理・医学賞を受賞した利根川進氏は、かつて「21世紀には、人間の心が何であるか生物学的に解明される」と宣言したが、脳科学の目覚ましい発展がみられたものの今日まだその全容は明らかではない。生物学的に解明されない限り、「心」の政策はできないだろう。政策もまた科学性を求められるからである。
筆者は、長らく、心理学は果たして科学なのか疑問に思っていた。生物学などと学際的研究を進めることにより、もう少し、政策的に活かす方法を考えても良いかもしれない。