日々雑感

定常型社会とイノベーション

 この欄で「夢人口」を語る広井良典京大教授を紹介したことがあるが、過日、彼の話を直接に聞く機会を得た。広井教授は、厚労省の我が後輩であり、若くして学問の世界に移った経歴の人である。久しぶりに会い、「僕は(厚労省の)ドロップアウトですから」と謙遜したが、勿論、そんなはずはない。多くの論壇の賞を取り、日本の未来の道を指南する屈指の人材である。

 広井教授は社会保障政策の学究と紹介されるものの、本質は、科学史・科学哲学をベースとし、農耕社会が始まった1万年の歴史の流れを捉え、現代社会の社会保障を論じる稀有な論客である。「夢人口」では、「現実とは脳が見る共通の夢」と言い、未来不確定の子供、認知能力の低下する高齢者はそれぞれ夢を見る集団であると言う。
 
 今回の話は、定常型社会。経済成長を絶対的な目標としなくても、十分な豊かさが実現していく社会と定義する。ホモサピエンスは1万年前に農耕というイノベーションを起こし、それが定常化するにしたがって、4大文明などが発達した。17世紀には産業革命というイノベーションを科学の発展とともにもたらし、資本主義、民主主義の価値を擁した社会に我々は位置する。

 イノベーションは今も我々の社会のキーワードである。AIやバイオ科学に期待がかかる。しかし、広井教授によれば、資本主義は直近の金融資本主義をもって最終駅に行き着いた。市場原理をベースに成長を追い続ける手法は終焉を迎えると警告する。確かに、人口も先進国における減少に始まり、22世紀初頭100億余りで定常化し、成長を支える要素が後退していく。さらに、地球環境の問題は成長の後退に拍車をかける。
 
 もう成長はいいではないか、産業革命後の新たな定常状態が既に出現し、ポスト資本主義社会の構築を待っていると広井教授は説得する。その姿は1972年、ローマクラブが著書「成長の限界」で、食料・エネルギー危機の到来から人口の抑制を叫んだ姿と重なる。ローマクラブをさかのぼる百年も前に、実はJ.S.ミルは同じことを提唱していた。つまり、定常型社会の論は古くて新しい議論なのだ。
 
 一昨年の科学者会議で、筆者はたまたま「成長の限界」の著者デニス・メドウに会う機会を得た。彼の限界論の後に起きたイノベーションで、世界はローマクラブの提唱を反故にした。農業もエネルギーもメドウの予測を打ち砕く発展を遂げたからだ。メドウは「それでも私は今も私の考えが正しいと思う」と言った。筆者は、昔読んで茶色くなった彼の著書にサインをしてもらったが、彼の顔色はなかった。

 ミル、メドウに続いて約50年ぶりに広井教授が定常型社会を提言する。マクロ的な話であるから、ある日突然定常型社会になるのではなく、これからもいくつかのイノベーションを経験しつつ、しかし、定常状態になっていくと考えるべきだろう。その定常型社会をポスト資本主義社会と呼べば、既に五感をもって髣髴と感じられる。我が国は失われた30年(まさに平成が丸ごと)を経験し、特に国民一人当たりのGDPにおいて国際社会での地位を著しく下げた。20世紀から21世紀にかけて奇跡と言われたアジアの躍進も、我が国を追いかけるように少子高齢社会が始まり、もうそう長くは繁栄の中心ではいられない。

 時期を同じくして、小林剛也財務相地方課室長の財務省が取り組むイノベーションについてお話を聞いたが、海外に売れる日本酒の開発など現実的な事業に財政的に関わってくのがイノベーションというなら、それは賛同すべきと思う。しかし、時代を、世紀を超えてのダイナミックなイノベーションが定常型社会を打ち砕くだけのものになるかどうかはわからない。我々が経験した成長型の経済社会よ、もう一度はハードルが高い。
 
 ここは、厚労省出身者が誇る広井良典教授のさらなる研究成果に期待しよう。

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