日々雑感

多自然主義

 多自然主義の自然保護学者である岸由ニ慶大名誉教授の話を聴く機会を得た。先生は、手つかずの自然を理想とする「近自然主義」に対し、人間の活動とともに変化する生態系の現実に沿って進める「多自然主義」を唱える。
 
 岸先生は世界的な名著、ドーキンス著「利己的遺伝子」の翻訳者の一人であり、筆者は大いに興味を惹かれた。そして、筆者の長年の疑問は、自然保護主義が、原発反対、自衛隊反対とともにラディカルの政策パッケージに入ってているのはなぜかであり、答えが欲しかった。結論から言うと、岸先生は見事に答を示唆した。

 多自然主義は、人間の活動を進めることに反対せず、また、外来種をそれだけの理由で敵視するのではなく、それらと調和をとりながら新たな生態系を作っていくという考えである。先生は、この考えを以て、自然保護の現場と学問を往復しつつ、政府や自治体の都市計画に具体的に携わってきた。

 神奈川県の鶴見川流域では絶滅寸前のアブラハヤを流域内移動で蘇らせた。その時はラディカル団体から、アブラハヤを移動させるのは遺伝子攪乱だと反対された。科学的根拠はない。他方、政府や官僚には明らかな開発主義者がいて、自然保護に興味を持たないために仕事が進められないこともあった。左と右の対立の間隙を縫うような形で自然保護に勤しんだのである。これを聴いて、多自然保護は近自然保護(ラディカルの多くはここに属する)と異なり、開発主義に対抗するためではない、科学的根拠を重視する発想だと理解した。

 三浦半島の滝の川流域にある小網代では、耕作放棄地のササを刈って大規模な湿原地を回復させた。現場での仕事を続けるうちに、先生は流域思考にたどり着く。流域とは水のある生命圏を生きる人類の足元に広がる生態系だという。したがって、流域開発が自然に委ねる自然保護の方法そのものである。一旦は、国交省の理解も得た。

 しかし、現在は残念ながら、国交省は、流域開発ではなく、里山構想を政府の看板事業にしている。看板事業はある日突然変わるそうだ。確かに、里山も中山間地も、果てはソサエティ5も国民に示されるときは内部の審議が終わってからだから、いつも突然でしかも科学的説明が下手だ。里山など誤解だらけで、何が目的なのかも一般に知られていない。

 特に、筆者のような都会育ちは、「ウサギ追いしかの山」が日本人の故郷だと言われると違和感を持つくらいだから、理屈の分る自然保護政策でなければ納得しない。その意味では、科学的根拠も明確で、政府よりも説明がうまく、ラディカルの教条主義に与しない岸由ニ先生の話は、実に腑に落ちた。

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