少子化の家族的要因
筆者は、90年代における厚生省児童家庭局の課長時代の経験をもとに、少子化政策の講演講師に呼ばれる機会が多い。少子化は、経済的要因(非正規雇用が多くて、若者が結婚できない)、社会的要因(結婚の意味が薄れた)によるマクロ的な説明が一般的であるが、落としがちな観点がミクロ的な「家族の要因」である。
家族社会学では、山田昌弘法政大教授が、結婚するまで「親の子供」というアジアに共通な日本の社会が、親にパラサイトする生き方を選択し、生活レベルを落とす結婚から若者を遠ざけると説く。日本国中にたくさんのパラサイトをもたらし、痛ましい事件にまで発展した例が元事務次官の息子殺しである。ミクロ的な「家族の要因」を探るのは、もうひとつ、心理学・精神医学からのアプローチが必要だ。
昨日、時宜を得たかのように、亀口憲治国際医療福祉大学大学院教授の家族療法のお話を聴いた。先生は80年代初頭、ニューヨーク州立大学フルブライト研究員の時に、アメリカ社会が家族崩壊の危機に直面し、アメリカで発展した家族療法をライフワークに選び、今日、日本における家族療法の第一人者となった。しかし、先生自身が言われるように、日本では、家族療法は弱小分野であり、国の予算がつくこともなく、アメリカのような発展は望めない。家族療法を行う臨床心理士などは極めて少ない。
家族療法とは、簡単に言えば、個人のカウンセリングでは問題解決にならない場合、家族全体がカウンセリングに登場して、問題の根幹を洗い出す療法である。家族関係を見直すことによって、病原を発見するのである。母原病もこれにあたるだろう。夫婦間、親子間の真の問題、病因を明らかにし、これに対処する方法を得る。精神医療の薬物医療の対極にある処方だ。
筆者は、70年代半ばにアメリカに留学し、アメリカ社会における家族の崩壊を目の当たりにした。離婚、再婚、連れ子、性的虐待、性的倒錯などが社会問題であった。これはウーマンリブが原因なのではない。むしろ家族の問題に失望した女性がウーマンリブにそのエネルギーを注ぐようになったのである。
しかし、アメリカはプロフェッショナリズムの国である。これらの社会問題を新たな心理療法である家族療法を以て大々的な取り組みが始まったのである。当時、日本は戦後30年経ても、戦前の家族の枠組みが残り、アメリカの状況を対岸の火事としか見ていなかった。
ところが、あれから半世紀経った今はどうか。離婚、パラサイト、引きこもり、児童虐待、介護殺人など家族の問題が70年代のアメリカ以上に噴出している。アメリカと違って、日本では家族の問題はタブーだ。自分たちでひそかに解決を図ろうとする中、事件に発展する場合がある。家族そろって家族療法を受けようとは考えないし、また、受けたくても、施療してくれるところが極めて少ない。日本は、児童虐待の事件がいやというほど世間を騒がせてもなお、プロフェッショナルに問題を解決する道を取らない国柄なのだ。
さて、少子化問題に焦点を当てよう。少子化のミクロ的な問題点は、一つは家族社会学、そして家族療法が引き出す心理学が教えてくれる。70年代、団塊世代が結婚ラッシュだった時には、戦前の親から教えられた結婚の枠組が残っていたが、団塊世代はそのジュニアに、自分の見果てぬ夢を託した。大卒が2割時代の世代だから、子供には大学受験を強制し、かつては金持ちだけがやっていたピアノやバイオリンを習わせ、ジュニアたちは時間を奪われた。
団塊ジュニアは、長じてから「本当は自分の夢は何だったのか」と迷い始める。その上に、親世代より日本経済は悪く、就職氷河期にも遭遇し、自分の家族を積極的につくる理由が見出せなくなるのである。親に強制された人生の延長がパラサイトなのかもしれない。団塊ジュニアは今や40代半ば、既に人口生産力は極めて小さい。家族療法は間に合わなかったのだ。
団塊ジュニアの次に来る世代に、もしそんなものがあるなら、予防的家族療法を広め、健全に日本社会を保っていくべきと筆者は考える。