日々雑感

議員定数・官僚定数の削減

 行政改革を看板にしていたみんなの党が解散してから、議員定数を標榜する政策は聞かなくなった。しかし、小選挙区が定着し、官邸中心政治が当たり前になった現在、与党の麓に存する議員や、一向に優れた対立軸を作れない野党議員の多すぎる数に注目すべきである。

 国会会期中に北方領土で酩酊した議員の行動は氷山の一角であり、内閣や重要な党務に関わらない大多数の議員は政治参加ができない、また、能力的に自ら立法や政策の提案ができない状況にある。だから、不行跡に走るのだ。それは与野党を問わない。

 小選挙区は政党の力で当選するから、選挙が安泰な政党もあれば、政党名を隠さないと活動できない政党もある。彼らの演説は、したがって、「皆様の声を国会に届けます」の一点張りだ。党の方針と異なる演説は許されないし、そもそも自ら訴えたいものを持っていないのである。経歴を見れば歴然だ。専門性を積み上げた人生を送っていない、議員になるための議員だからである。

 また、官邸中心政治は各省の専門性を低下させている。専門の積み上げではなく、政治的に官邸が先に決めるという図式が官僚の意気を削いでいる。その官僚自身、90年代から、人材が低下している。大学では、優秀な学生は外資系に流れ、官僚志望は中堅と言われて久しい。
 
 事務次官のセクハラ事件、幹部の忖度行政を目の当りにしながら、官僚の麓にいる人間もまたモラルの低下が当たり前となっている。会議また会議の繰り返しで、実世界とかけ離れたバーバルコミュニケーションが行われている。したがって、話す日本語はうまいが、中身はない。財務省も経産省も農水省も同じようなイノベーション政策を「ポンチ絵」に描いて説明に現れる。

 議員だけでなく、官僚も多いのが目につく。しかも、2-3割は精神異常で戦力から外れているとさえ彼らの中で言われている。しかし、議員や官僚が多すぎると言うと、先進国の中では多くないと反論し、確かに、どちらも突出して多くない数字が掲げられている。

 さて。多くの人が心に思い、決して実現されてこなかった提言をしよう。まず、国会議員を減らす第一歩は参議院をなくす。第二の衆議院になり下がった参議院に今更「良識の府」は期待できず、息の長い重要な法律や政策に取り組む姿勢も見られない。直近の参議院選挙の投票率の低さは、有権者が「参議院に投票したって、何も変わらない」と消極的だからなのだ。

 次に、官僚の減らし方だ。多くの規制を緩和することが一番である。許認可に関わる官僚が多すぎる。次に、お抱え学者の審議会は廃止し、民間のシンクタンクに学問的・技術的評価を得る制度をつくる。忖度政治を減らすにもこれらの方法は役立つ。

 人々は目に見えた改革を待ち望み、消費不況の長いトンネルから出られない日本に希望を与えてくれるのは、その「目に見えた」ものだけでしかない。N国党首が参議院選挙より以前に流山おおたかの森駅で演説をしていたのを聞き、「目に見える」改革を語るすごさを感じた。NHKに不満を持つものもかなりいる中で、そのシングルイシューで国会まで出てきた彼の情熱と勇気は、今の時代が求めているものだろう。

 議員定数と官僚定数を削減する主張のできる政党が出てくるべき時だ。

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