日々雑感

ミッシング人口

インド人のノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・セン教授は、インドの男女出生比率が極端に男が多い事実(男1000に対し女929 2021年)に対し、ミッシング・ウーマン(失われた女性)と呼んだ。
 男系社会インドでは、中国と並んで、出生前診断で女と分かると堕胎してしまうために、女が少なく生まれ、生まれるはずだった女をミッシング・ウーマンと呼んだのだ。女は結婚のときに法外とも思われるダウリ(持参金)を必要とし、その慣習が厳然と残っているからである。
 日本では、2024年の出生数がついに72万余まで下がった。100万を切ったのが2017年、80万を切ったのが22年、ついに25年には70万も切るのは確実とみられている。これは、社人研の予測よりも12年早い減少率である。若い人々が政治に失望し、将来不安に苛まれていることは疑いがない。
 本来なら団塊ジュニアを含む氷河期世代が生むべき子供は生まれてこなかった。90年代人口問題研究所が予測していた第三次団塊世代、いわば団塊孫世代は生まれてこなかった。セン教授に倣えば、これは、日本のミッシング人口である。
 団塊ジュニアは50歳を過ぎ、最後の氷河期世代も40歳を過ぎた今、彼らの子供が生まれる可能性は殆ど無い。彼らはバブル崩壊後のデフレ期を生き、グローバリゼーションの名の下に、不況と雇用の流動化によって切り捨てられた世代だ。まさにミッシング人口を創り出す土壌そのものだった。
 グローバリゼーションはソ連崩壊後、アメリカ一極世界でアメリカが流行らせた政策だ。ITも金融も国境を越え、弱肉強食の世界が創られた。デフレから抜け出せない日本でグローバリゼーションの波に乗った日本の政治は、弱者を徹底的に痛めつける結果となった。最も痛めつけられた世代は氷河期世代だ。
 だが、グローバリゼーションの先頭にいたアメリカがアメリカ第一主義をとり、追随する国々を追いやっている。日本も小泉政権から、否、橋本政権から、金融ビッグバン、雇用の流動化をやり、挙句の果ては防衛費2倍までアメリカに付き合ってきた。いま、アメリカに梯子を外されて政治はどう立ち向かうのか。
 国会で集中的に議論されている手取り問題は、グローバリゼーションの積み残しである配偶者控除、第三号被保険者、さらに選択的夫婦別姓の問題を明らかにしたに過ぎない。高額療養費もこれから議論される年金改革法も、アンチグローバリゼーションの勢いが強くなり、考え方を改める機会が訪れたのだ。
 ウクライナ危機一つとっても、アメリカは欧州と日本に対し、梯子を外した。もうアメリカ追随は許されない。日本は外交以上に、内政においてもアメリカ追随であったが、今、国益にあった政策を求められている。それにしては政治はお粗末だ。患者団体がクレームをつけることによって初めて高額療養費の方針を変えようとしている。同時に、野党も、少数与党に対し、部分的勝利を勝ち取る競争をしているだけだ。国民民主党を除けば甚だ論理性を欠く。
 ミッシング人口はもう帰ってこない。ならば、氷河期世代の雇用に最大の力を注ぐべきではないか。その政府の在り様を見て、下の世代が国への信頼を取り戻し、子供を産む意思を持つことができるのではないか。

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