日々雑感

疫病対資本主義

 非常事態宣言が発され、日本社会も疫病との戦いが始まった。筆者はインド滞在時代に夜間外出禁止令を経験し、shooting at sight(外出者を見たら発砲する)という強制力の強さに驚いたことがある。戦後の日本にはそのような事態はなかったし、そもそも戦時下に対応する法律もない。
 しかし、最早、平和ボケという時代ではない。日本は90年代のバブル崩壊から、非正規雇用や非婚、重なる災害による艱難辛苦に締め上げられてきた。その中で、戦時体制と思われるかのような不便な生活が始まったのである。首都圏では、コミュニティーの「広場」であるショッピングモールが閉鎖される。飲食店は自粛で活気を失う。
 学校は休校、仕事はテレワーク、非正規雇用者は自宅待機、その一方で、感染者が増えて対処できない医療崩壊の可能性が高まる。太平洋戦争を生き延びた人は少なくなりつつあるが、思い出される「欲しがりません、勝つまでは」「贅沢は敵」の再来である。
 この疫病との戦いは、近年とみに危機を指摘されてきた資本主義と民主主主義への挑戦でもある。新型コロナ対策に国は108兆円の予算をつぎ込む。1年分の国家一般会計予算以上の額だ(ただし、特別会計や融資を含むので真水ではない)。アメリカはそれより早く、220兆円の給付を決めた。どちらの国も紙幣を大量に刷れば可能だが、疫病後の社会がハイパーインフレになることは容易に予想される。
 まさに、疫病の資本主義に対するチャレンジである。戦争が資本主義に対するチャレンジであるのと同じであり、資本は国家目的の方向のみに使われ、人々の生活は抑制される。環境主義の小池都知事と通産官僚出身で資本主義の守護者西村経済再生大臣との対立はまさに事態を象徴する。「まずは疫病だ」の小池氏。「産業の活動を残しながら」の西村氏。
 エボラ出血熱はコウモリを食するアフリカの食文化が原因だった。新型コロナはまだ詳しいことは分っていないが、マレーシア原産で中国人だけが食するコウモリ科の動物が持つウィルスの可能性が高い。机以外の四つ足は全て食べると言う中国らしい文化によるのだろうか。
 発祥地の武漢では疫病封鎖の一部解除のニュースもあるが、世界は疑っている。その上、中国が開発したPCR検査キットも大量購入したイギリスで使用不可能であることが発覚した。また、コロナ発性の時に、中国の科学者は致死率の低いウィルスと判断したことが蔓延の原因だとも言われる。ただ、共産主義体制であるからこそ、都市封鎖など強制力を迅速に発することができたのも事実だ。
 疫病後の経済崩壊は防げるのか、ハイパーインフレは防げるのか、資本主義は崩壊しないのか、分からない。ここで思い起こされるのは、気候変動対資本主義の戦いも今回と同じ構造の戦いであるが、科学者の強い意向にもかかわらず、資本主義への配慮が先立ってきた。だが、疫病との戦いは、気候変動を凌駕する。気候変動が低温火傷ならば、疫病は眼前の火傷そのものだからだ。

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