長谷川先生の子育てスイッチ
総合研究大学院大学学長の長谷川真理子先生が、ご専門の進化生物学から考察した少子化の議論を聴く機会を得た。
動物の個体が一生の間に時間とエネルギーをどのように配分するかの研究によれば、体重が大きければ時間はゆっくり進み、脳の大きい動物は長生きして経験を活用する。まさに哺乳類として大きく脳の重い人間がその動物である。
動物個体が一時期に使える時間とエネルギーには限りがあり、何かに使えば他は使えなくなる、つまり、トレードオフが行われることになる。ここで結論を急げば、複雑になった人間社会に適応しようと思えば、子育てに回る時間が少なくなること、それが少子化という現象である。
動物は、自己の生存維持、つがいの相手を見つけること、子育ての3つを原則として生きる。これに当てはめると、日本の現代女性はかつて親や夫によってあてがわれていた生存維持や結婚成立にエネルギーを多く費やすことになり、子育ての幸せ見通しが悪い時代を生きている。即ち、子育てへの配分が相対的に少なったのである。以上の長谷川先生の少子化論は、実にわかりやすい。
他方で、人間の社会が豊かで衛生的で教育が普及したせいで、生物界ではありえない現象をもたらすようになった。非婚率が高い、繁殖力のピーク(女性25-35歳)に子供を生まない人が多い、乳児死亡率が下がると出生率が下がるなどの点である。
発達した人間社会が人間を自然のルールからはずしてきたわけであり、そう考えると、少子化は「やむを得ない」のであり、なすべきことはないのかもしれない。なぜなら、社会を巻き戻しすることは不可能だからである。時に、女性の高学歴化や社会進出を抑制する議論あるいは児童手当を法外な額にすべきという議論も出るが、受け入れられない。
長谷川先生は、質疑応答において、政策立論者の言う「こうあるべき論」を戒め、「それは進化生物学に解決を求めないでください」という趣旨を明確に言われた。科学に「べき論」は禁物である。もしかしたら、自然科学に比較し、曖昧な社会科学に限界があり、それをもっと曖昧に解釈した政策自体が間違い続けてきたのが、少子化政策なのかもしれない。
一点だけ、長谷川先生は、科学の分野を離れ、「子育てスイッチ」というものがどうもありそうだと言及した。それが入ると、子供を持ちたいと言う気持ちになる。成長期において周囲に赤子などを見たり触ったりすると、子供を愛する心が養われるということだ。
これは少子化政策を考える者にとって朗報だ。しかし、もう一つ問題がある。今の20-40代の青壮年は、かつての青壮年に比べ幼い。就職氷河期のような苦労はあったかもしれないが、戦争やひもじい思いの経験はない。兄弟も少なく、多くは先進国の中産階級が享受できるものは得てきた。
このバックグラウンドの20-40代の心理からくる少子化研究が必要であろう。人口学、経済学、家族社会学、そして自然人類学(ここでは進化生物学)の視点からは多くが分析され、語られてきた。しかし、彼らの幼さ、結婚も子育ても積極的ではない心理を、できれば社会心理を少子化政策に向けてもっと研究すべきであろう。
長谷川先生は、「国家や社会を維持するために子供を生みましょうと言うのは間違い」と明言されたが、多くの人が子育てスイッチの入らない人生と社会は健全ではない。人々の幸せ感を最大にするのが国家の役割とすれば、少なくとも、子育てスイッチの入りやすい社会を作ることで妥協点を見出していくべきであろう。