日々雑感

自然科学における「家族」

 コロナがもたらした外部経済の中でも、家族の価値の高まりは実感されていると言ってよい。家族は、家計を扱う経済学、家族社会学、文化人類学など主に社会科学分野の研究対象になっている。しかし、この度、ゴリラ研究の第一人者である山極寿一京大前総長のお話を聴く機会を得、自然科学における「家族」の意味を、ひいては、人間の特質を教示していただいた。
 競争社会に生き、強者が弱者を従え、共同体に愛着を持たないサルよりも、争わない群れの中で、家族が役割分担をしながら子育てするゴリラに山極先生の思い入れがあるようだ。だからこそ、人間の社会がサル化していくことを先生は警告している。
 ゴリラともサルとも違う我々ヒトを特徴づけるものは何か。それは、共感できるという資質だそうだ。人間の目にだけは白目があり、目の動きで相手の感情が読める。赤ちゃんは、絶対音感の能力を持ち、トーンを正確に聞き分けて感情や信頼を共有すると言う。この共感こそが人間の家族と社会の基盤をつくる。
 その能力を持った人間サマが、今や、発達した社会の中で、共感能力が減退し、優劣を競うサルの社会へ向かおうとしている。人間サマは経済的、社会的、生物学的(遺伝子工学が関係する)格差の増大をもたらし、社会の危機へと向かう。
 山極先生は、この傾向に多くの処方箋を提供している。他者を感動させる能力を持つグローバル人材たれ、大学教育は既存の知識ではなく未知の世界を教えよ、コロナ予防を意識しつつ、開かれた家族と人々のつながりを保て等々。詳細は先生のご著書を読んでいただくしかないが、先生のご提言に納得しつつも、日本社会の病は直ちに治癒するほど軽くはない。
 コロナ禍は確かに、家族や人々とのつながりの願望と必要性を高めたが、大方の予想では、自治体への妊娠登録から見ると、今年の生み控えがさらに少子化を深めそうだ。共感を基礎とした家族の減少は社会の劣化に拍車をかける。
 経済には期待して株価は高値を更新しているのに、コロナで罹患者差別や都会人差別や人種差別が増え、人間が共感を失い、人間サマへの期待感が低いのは事実のようである。せめても平和な家族と群れを持つゴリラを見習えないか。

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