日々雑感

日本の育児の失敗

 日本の少子社会を招いたのは、若者の非正規雇用増加による結婚難、教育費用が掛かりすぎる、核家族化で育児負担が大きい、が原因の多くを占め、語り尽くされていると言ってよい。
 しかし、もう一つ問題がある。育児哲学の揺らぎである。戦前と戦後では、育児哲学は大きく変化した。「末は博士か大臣か」「親孝行」「三歩退いて師を敬え」は既に存在しない哲学である。裏を返せば、「偉くならなくてもいいから大学は出ろ、老親を養う必要はない、モンスターペアレンツは先生よりエライ」ということになる。この戦後の育児哲学の揺らぎこそが今一つの少子化原因となる。育児が誰をも幸せにしないからである。
 育児哲学の変化は経済社会の自然の流れ以上に、人為的な原因があったし、今もある。その原因と状況を育児の問題点として四点、以下に述べる。
 その第一は、戦後のアメリカの占領政策に端を発する。アメリカをはじめとする連合国は日本を徹底的に潰すつもりであった。しかし、49年に中華人民共和国が建国され、ソ連の原爆実験が成功し、翌50年に朝鮮戦争がはじまると、にわかに占領政策は転換を余儀なくされた。日本はアジアにおける共産主義の防波堤となるように、憲法九条の戦争放棄をしり目に自衛隊の発足が決まった。
 ただし、占領政策が180度転換したのは安全保障の分野であって、社会政策や教育政策は当初の意図のまま日本の価値観を捨て去るように実施された。社会政策では、戦前人口増大を目標としていた日本を潰すべく、48年に優生保護法がGHQのバックアップで立法され、翌年改正して経済的理由で堕胎ができるようになると50年から出生率は劇的に落ちた。優生保護法なかりせば、日本は欧米と同様、ベビーブームが十年は続いた可能性が高く、たった三年で終わったことが今日の急激な少子社会をもたらした遠因になっている。
 教育政策については、六三三四制の導入で高等学校ナンバースクールを廃止し、その意味は日本の教養主義を消滅させたのである。当時の高等学校の学生が好んで歌った「デカンショ、デカンショで半年暮らす」はデカルト、カント、ショウペンハウエルの哲学書を読む、つまり教養を身に着けることを表したものである。現在の高等学校は後期中等教育であり、今となっては大学受験のためでしかなくなっている。大学は専門課程が実質二年と短く、戦前の帝大三年の教育には及ばない。子供たちに活力を与える高等教育はどこにあるのだろうか。
 初等中等教育は、デモクラシーを教える機関となった。親も教師もデモクラシーの意味は分からなかったが、旧来の価値を家庭では及び腰に教えることになり、学校教育とのダブルスタンダードで戦後教育は始まった。
 そのダブルスタンダードで育ったのが団塊世代を始めとする戦後世代であり、その曖昧な団塊世代の哲学で育ったのが団塊ジュニア以降の世代である。現在の親となるべき年代は団塊ジュニア以降になるが、結婚しない、子供を持つのに躊躇する、育児に積極的な希望を見出さない世代でもある。
 第二に、占領政策とは別であるが、戦後アメリカ的なものは価値が高いとの風潮により育児にもそれが現れた。スポック博士の育児書が象徴的であり、日本では、66年に翻訳出版され、育児の指南書としてベストセラーになった。児童中心主義を謳うこの本は、赤ちゃんの自立のために親子が別室で寝るべきこと、泣いても抱き癖が付くから抱かないことなどを説いた。日本古来の添い寝や抱っこのスキンシップを否定したのである。
 また、商業主義で行われたのであるが、日本人がアメリカ人に比べ体格が悪いのは牛乳を飲まないからだと喧伝され、母乳を離れ、牛乳育児が流行った。岡山大附属病院の山内逸郎先生等の努力により免疫力のある母乳主義に戻された。しかし、スポック博士の育児書同様、スキンシップに欠く育児がかなり長い期間行われたことは否めず、このような育児方法で育った世代が子供を持つことに積極的になれるかは検証すべきである。
 第三に、女性や育児の在り方について、フェミニズムの一部から旧価値を攻撃されることも影響がある。男女の差はない、男も女も平等に育児すべきというのは、生物学的にみると極論のように思われる。むしろ男にはできない女の育児という仕事に誇りが持てるような制度的仕掛けが必要である。仕事も育児も両方が大きな価値あることと社会全体が受け止めるべきと思う。
 第四に、この欄でも紹介したことがあるが、京大教授の明和政子先生によれば、社会人類学では、ヒトは、他の霊長類と異なり、共同養育するDNAを持つという。人間は極端に未熟児として生まれ、複数の養育者を必要とし、特にお婆ちゃんは育児経験者として閉経後も生き延びる理由がある。
 しかし、核家族化した社会に必ずしもおばあちゃんが卑近にいるわけではなく、ないものねだりになる。そこで、保育所という共同養育の機関があるのである。保育所は近年、働く母親のための経済社会的理由で存在しているとみている人が多いが、それ以上に、共同養育のために必要な機関でもある。また、子供は子供を求め、兄弟姉妹の少ない現在では、子供同士が早く出会える場なのである。保育所はあくまで家庭育児の補完機能であるが、この重要な役割を報酬などの点で強化していく必要がある。
 以上育児に関する四つの問題点を挙げたが、ただでさえコロナ禍で産み控えが起きている日本が、育児大国となって少子社会を克服できるかどうかは、政治や社会の考え方次第である。

日々雑感一覧