先端科学は哲学を求める
過日、兵庫県にある高度光科学研究センターを訪れた。ここには、スプリング8及びSACLAと呼ばれる高性能の加速器システムがあって、放射光計測による先端科学の研究が行われている。スプリング8は世界四大放射光施設の一つとして数えられ(他は、アメリカ、ドイツ、欧州11か国共有)、放射光でナノレベルの世界が可視化され、多くの先端研究に寄与している。
原子・分子の構造が見え、その動きがわかるという手段が確立し、旧来の科学では望んでも果たせなかった様々の研究成果が得られている。例えば、光合成の構造なども分かったし、ハヤブサが持ち帰った宇宙の石から宇宙創造時の岩石成分まで分かるようになった。
ちょうど130年前に科学者レントゲンがX線を発見し、骨を透かして見ることができるようになってからの格段の進歩だ。目に見えない高度のⅩ線を物質に当てることにより、生物も宇宙もより明確に解明されていく。電子顕微鏡では無理だったナノの世界が開けていく。
人間はガリバーで、大きくなったり小さくなったりする。つまり、宇宙のような巨大なものも、目に見えない極小のものも、手にすることができたのだ。古代の土器や人骨に光を当てれば、伝統の「嘘」がたちまち明らかになる。伝統とは実証されない人間の作り話だったことが次々に解明されるだろう。
論理を飛躍させれば、我々の世界は、伝統を守る保守ではなく、イデオロギー上の保守かリベラルかで勝負しなければならない。人々の幸せは、自由が決めるのか平等が決めるのか、市場が決めるのか理念が決めるのかを選ばねばならない。伝統という言葉のインチキは通らない。
先端科学が教えるところは、究極、人間は新たに哲学を確立せよということだ。科学者に大きな影響を与えたプラトンの真善美は時代ごとに変遷するかもしれない、普遍性を持つのは難しいかもしれない。民主主義も資本主義もグローバリゼーションも行き詰まっている。今の時代の(決して普遍的ではない)新たな価値を作り上げねばならない。
先端科学が新しい価値に向かう我々の背中を押しているのだ。それにしても、なんと貧しい政治状況か。哲学は不在で、先送りと前例踏襲ばかりだ。