解決は議院内閣制を廃止すること
岸田総理に逆風が吹いている。自身もコロナ予後の青息吐息の中で「自民党と統一教会の関係を断ち切る」決意を述べた。しかし、大方の見方は「努力義務だろう、実効は上がるまい」だ。
自民党は、創価学会のみならず宗教の力を借りなければ選挙ができないほど力が落ちている。世襲の坊ちゃん、なりたがり屋の坊ちゃんを押し上げてくれるのは、能力をあえて問わない宗教人しかいないのだ。
自民党の議員は政府のトップになりたくて選挙に出る。正確にはトップの椅子に座って世の中を睥睨したいだけだ。片や野党は歳費が欲しくて選挙に出る。今や政権交代など絶望だと分かっていても、能力を問わない格好の就職口として選ぶ。
根本的解決は、議院内閣制をなくすことにある。専門知識も現場経験も持たぬ議員が年数を経れば大臣になれる議院内閣制が諸悪の根源だ。腐敗をもたらす制度である。
三権分立と言いながらも、その実は際立って行政府の権力が大きい。国会は国権の最高機関と憲法には書いてあるが、その最高機関にたどり着いた議員の目標は行政府の長になることだ。おかしいではないか。しかも、椅子に座って、官僚に書いてもらった答弁を読み、椅子は選挙に有利な道具の役割でしかない。本末転倒も甚だしい。
岸田総理が本気で憲法改正をやるなら、9条改正の前に、議院内閣制を廃し、大統領制に変えるべきである。行政府の長である大統領は国民が選び、政党は問わない。各政党は政策論議を交わし、自党の推薦する大統領を候補にすればいいのだ。無論、政党の支援が無くても立候補ができる。アメリカのように1年にわたる国民的議論の中で、スーパーな人物を大統領に選べばよい。
議院内閣制は無能隠しの制度であり、大統領制はあからさまに能力が問われる制度である。そして、大統領はその道の専門家を閣僚に任命すればいいのである。アメリカのように、財務長官はトップ経済学者のイェレン、国防長官は陸軍大将のオースティン、国務大臣は外交官ブリンケンと、その道のプロばかりだ。
一方、議員は、大統領制の下では自ら法律を立法しなければならない。議院内閣制の下、官僚が作る内閣提出法案がなくなり、本来の役目に戻るのである。一人一人の能力が問われ、官僚をうまく使いこなせるかもその能力のひとつになる。官僚は、新大臣が就任すると「バカが来た」「今度のは少しマシだ」とあからさまなコメントをしているのが現実だが、立法力のある議員には支援を惜しまないであろう。霞が関劣化の処方箋にもなる。
岸田総理よ、安倍氏の国葬をやって150年の長州足軽政治にピリオドを打つことができるか。吉田松陰を松陰神社に祭ったように、安倍神社まで作るとよい。しかし、自民党の立て直しは無理だ。議院内閣制の廃止で、150年の芥(あくた)を捨て去り、危機の日本を救うカリスマ登場が望める大統領制に移行すべきである。