日々雑感

子供受難の時代に

来年度予算の概算要求が終わった。防衛増額と財源問題の解決しない少子化対策が盛り込まれる。また、円安、物価高、インフレで国民生活への負の影響は大きく、政府はガソリンなど事業者への補助の延長を画し、価格の安定を図ろうとする。泥沼化しつつあるウクライナ危機への対応は、アメリカの指示待ちである。原発処理水問題は近隣諸国への事前説明を尽くす外交努力をしたか疑問であり、中国の非科学性と大人げない対応ばかりが喧伝される。
 目先のことばかりに対応し、しかも国民の支持率が下がるばかりなのであれば、政権はむしろこれまでにできなかった問題を掘り下げることで危機を突破したらどうか。例えば、その一つ、児童の虐待問題だ。少子化が叫ばれる今日、新生児殺し、車中放置での死亡、ヤングケアラーの存在等、子供は受難の時代に置かれている。
 子供の虐待死ほど痛ましいものはない。司法、福祉、警察などが取り組み、とりわけ児童相談所はその第一線に立ってきた。しかし、虐待相談件数は増加の一途(約20万件 2021)であり、虐待死のニュースは後を絶たない。児童虐待防止法が2000年に出来てから20年余り、制度や社会の問題点について多くの研究がなされてきた。
 中でも、児童相談所の専門性を高めることが必至と主張するのは才村純先生(児童虐待防止協会副理事長)だ。欧米では児童虐待に関わる福祉の資格は高く、お隣韓国でも専門の修士を擁していなければならない。しかし、日本では、県の通常人事で行政マンが児童福祉司に就き、二、三年で交代する。これでは、専門の積み上げがなく、虐待問題に対し、場当たり的な対応に陥りやすい。
 その上、日本は虐待に対し、独自のシステムを持っている。欧米では、要保護児童に対するいわゆる行政処分は司法が行い、ケアについては民間の福祉の専門を使う。ところが、日本は司法の関与が少なく、よほど深刻な場合だけ家庭裁判所の判断で行われるが、大抵は、行政部門での福祉の措置に委ねられている。
 すなわち、児童相談所は、才村先生曰く、虐待加害者(通常は親)に対し司法に代わってオニとなり、その後親子関係修復などのケアではホトケとなって、二面性の仕事を請け負わねばならない。加害者を導くのが困難であると言う。
 司法の関与を増やし(法改正が必要)、児童福祉司の専門性を上げる必要性は極めて高い。行政マンを児童福祉司に充てるのではなく、麻薬取締官や労働基準監督官のような権限の大きい官職に改め、採用資格を高めることから始めるべきだ。虐待は緊急を要することが多く、裁判所は人数も少なく迅速性に欠けることから、第一線にある児童相談所が緊急時に独自に動ける場合も作る必要がある。
 1987年に社会福祉士、介護福祉士の国家資格が制定されたが、医療の資格のように業務独占資格ではないため(資格がなくても同じ業務ができる)、医療の資格のように重視されてこなかった。しかし、それが、福祉の実施は素人でよい、という日本社会独特の考えを生んだ。現在の児童福祉司もその考えに立って行われている。専門性を高め資格の社会的地位を上げることによって、給与水準も引き上げられていくはずだ。
 異次元の少子化対策で児童手当の引き上げに余念がない岸田政権だが、少子化とは「少なくなった子供を一人残らず育て上げる」ことでもあり、虐待問題に解決を見出せなければ、中途半端な少子化対策になり下がる。選挙民の多い施策ばかり考えるのではなく、日本の病理に迫る施策を考えるべきだ。そして、与党だけでなく、野党は野党で、与党をあげつらうことのみで、こうした問題に取り組んでいる者はいない。政治の貧困で、子供が受難する時代だ。

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