変わる官僚
来月迎える各省新規採用者は、安倍政権の方針によりキャリア官僚の3割は女性になるはずである。昨年、霞が関では、争って女性の採用を優先したと聞く。
1993年、宮沢総理大臣は「東大ばかりの採用は辞め、幅広く各大学から採用するように」との方針を出し、それまで稀にしか採用のなかった私大出が以降増えるようになった。
小泉政権も民主党政権も官僚を敵にしたが、実は、この20年の間に、官僚の世界が様変わりしていたことは認識していなかったらしい。官僚出身首相が佐藤栄作で実質的に終わり、遅れてきた宮沢首相以来は一人も出ていない。同時に、官僚の中で野心のある者は、若いうちに政治に出て、政治家として期数を重ねることを目し官僚を全うするものが少なくなった。官僚卒では意味がなく、党人としてのキャリアが政治家に必要になったからである。
最近の、さまざまの大学からの採用や女性の採用は、明治以来の「官僚イメージ」を払拭した。戦前は、官僚は大臣にまで昇格できたのであり、戦後も池田勇人のように、当選一期生で大蔵大臣に就任するのが不思議でもなんでもなかった。
しかし、今は、官僚は、良くも悪くも、一般サラリーマンと変わらない。何よりも野心とプライドは下がった。国民のための仕事をするのには、むしろその方がいいかもしれない。問題は、政治家の学問的能力が低いので、併せて低い能力で働いてもらっては困るのだ。
官僚だけでなく、従来プロフェッショナルとされてきた職業も劣化しつつある。司法試験を通っても就職できない弁護士、同様の公認会計士、3人に1人は国家試験に受からない歯学部卒業生、20年間で3倍に増えた博士号取得者のワーキングプア。
昔はあこがれの職業で、世のため人のために働こうと思った志の高い人々が辛酸をなめる結果になっている。これに比べると、医学部卒の殆どが国家試験に合格し、世襲政治家が世襲の職業として何なく受け継いでいるのが対照的だ。利益集団の政治力または金の力、「地元文化」のくびきがそれを許しているし、また、憲法上も職業選択の自由があるので、適正な競争が行われていないと叫んでも抗えない。
プロフェッショナリズムの危機である。うるさい官僚の質を落とし、なぜか左に偏りがちな弁護士を失業させ、勉強しすぎで言うことをきかない博士号取得者を貧乏人にする・・・それは、学問が不十分で、職業経験の少ない、地元のアイドル政治家たちが喜ぶ状況である。相変わらずの利益誘導型政治に固執し、知識志向の政治が邪魔だからだ。
プロフェッショナリズムの回復は政治課題である。