日々雑感

まだ70年

 終戦70周年、今年は特別の年である。「もう70年」なのか「まだ70年」なのか。安倍首相を始め戦後生まれは「もう70年」と感じ、戦地に行った人々の孫・曾孫世代は、「ね、太平洋戦争って何? 教えて」ということになる。「もう70年」を主張すれば、いつまで謝罪するのかの議論に繋がる。
 安倍総理の「70年談話」は失望だった。間接的に「侵略・お詫び」を盛り込み、自らの言としては避けた。首相の根性と公明党・周辺国への配慮を掛け合わせて出来上がった談話だ。重みがない、プレハブ建築みたいに安い。
 数日前、劇団青年座の劇「外交官」を観た。最近稀なほどの感動を覚えた。A級戦犯となった外交官たちの戦時外交への思惑が劇化されたものである。
 登場人物は、広田弘毅、松岡洋右、東郷茂徳、重光葵、白鳥敏夫達である。広田は結果的に戦争を後押しした罪を認め、弁解はしないと語った。極東裁判でもその姿勢を貫き、文官唯一の絞首刑に処せられた。
 松岡洋右は、国際連盟脱退は本心ではなかったと語り、三国同盟にソ連を加えてアメリカを抑制する策略だったと述懐する。世間の評価とは異なる自分を主張。
 ナチスを嫌い罷免された元ドイツ大使の東郷茂徳。これに対し、満州事変では軍部を支持し、三国同盟を推進した白鳥敏夫元イタリア大使。東郷と白石は戦後も言い争う。
 満州事変では協調外交を主張した重光葵は、上海事件のとき負傷した右足を引きずりつつ、戦艦ミズーリ号上で、降伏文書に調印する役を負う。
 史実と個人の思考を見事に組み合わせた秀逸な劇であった。精神論と怒号の「陸軍太平洋戦争」とは対照をなすが、さは言え、外交の戦争責任も大きい。もし今の安保法制が外務省によって進められているのが事実であるとすれば、今の外交官に、命がけの覚悟があるのかを聞きたい。
 映画「日本の一番長い日」も観た。これは、戦争の意味そのものは問わないが、物事を終わらす難しさを表現し、孫・曾孫世代の「太平洋戦争って、何?」に一つの解答を与えてくれる。国が始めて人々を巻き込み、しかし、終幕を引くのが遅れたために犠牲は大きくなった。戦争とはそういうものだよ、孫たち。
 つまり、国内外に国の犠牲になったと思う人々がいる限り、「まだ70年」なのである。

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