日々雑感

転倒を機会に

 半月前の雨の夜、私は駅の段差で転倒した。荷物を持っていたため手が出ず、顔をコンクリートに打ち、四針縫うけがをした。
 地域回りの時よく聞くお話が、この転倒である。それも家の中のちょっとした段差、階段での転倒が多い。大腿骨骨折や背骨骨折に至る場合も多く、長い入院と介護の生活が待っている場合もある。
 高齢者の健康にとって転倒は最も回避すべきものであり、60代の私も「転倒年齢」に入ったというある種の感慨を覚えた。というのも、私は、十余年にわたってある公益法人の高齢者に関する研究論文審査を担っているが、十余年前には、ガンの研究が主だったのに対し、最近は、転倒、フレイル、サルコぺニアに研究が集中してきているからである。
 一定の年齢を超えれば、ガンよりも転倒や筋肉・骨の脆弱の危険性の方が大きくなる。高齢者にとってガンの進行は遅いし、五年生存率も上がってきた。他方、転倒などはその日を境に生活を一変させる可能性が高い。だから、転倒を防止するさまざまの研究が行われているのである。
 バリアフリーやユニバーサルデザインをどこまで徹底しても、完全にはならない。欧米人は段差をもたらした施設所有者を相手に訴訟を起こすのが常であるが、日本人は「齢のせいだ」とあきらめる。どちらがいいのか分からないけれども、我々日本人は、筋骨を鍛え、運動能力を高めて転倒防止することを選ぶのであろう。だから、転倒予防の研究が多く、決して「裁判に勝つ」方法の研究はない。
 転倒防止は多くの人が希望するピンピンコロリのエンディングにつながる。我々は健康のために健康を維持して生きていくのではない。人生にやりたいことがあって、また、人を喜ばせたいから、自己の健康資源を使って生きていくのであろう。
 高齢者が生きた時代の結果として今の経済社会があるならば、高齢者は若者に共感し、若者が生きやすい環境づくりに最後まで貢献すべきであろう。若者から社会保障を食いつぶす人間と言われるのではなく、いいお爺ちゃん、お婆ちゃんが若者に生きた歴史を伝え、若者こそが日本の良き方向を見つけてほしい。

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