日々雑感

科学と芸術

 昨日、「滝夜叉姫伝説」(冠木新一プロデューサー)を観劇した。千年前、平将門の遺児滝夜叉姫が抱く仇討の念と部下の恩讐にまつわる地元の伝説を劇化した内容だ。滝夜叉姫は、部下の子孫に父から授かった埋蔵金の地図を脅し取られてしまう物語である。出演者は桜川芸者学校の方々で舞を中心に見せるプロデュースである。
 先週は科学会合で、科学の政策応用について考え続けたが、芸術の伝えるメッセージは、科学と真逆で、見る人によってとらえ方が全く異なる。この劇に関して言えば、伝説は口から口へと伝えられていくため、そのたびに主観が入って、元の話とはかけ離れたものとなっていく。恩讐という、心にある見えないものの現れをいかに解釈するか、それは見る人の自由だ。自分の人生に当てはめて答えを出すのである。
 恩と讐のあざなえる人生に一応の決着をつけ、地平線の彼方にある真実を追い求める科学という方法に私は賭けている。究極、科学の真実は一つであり、その一つに収束させる過程にいつも置かれている。ニュートン力学が否定され、アインシュタインの相対性理論も絶対ではなく、あるはずと言われたヒッグズ粒子も確認できない。しかし、一つの真実に近いところでみなぐるぐる回っている。芸術のように人々の思いが拡散することはない。
 芸術に対する理解の浅さを露呈してしまった。今回の劇の終わりに観劇者も招じ入れ舞の輪が作られた。日本の舞は、華麗な衣装でゆったりとした動きの農耕社会文化。太極拳のバリエーションにも思える。対して、西洋のバレーは激しい動きでプロしか踊れない。狩猟社会では、突出した技術を磨くことが尊敬され、プロを生み出していった。そのことが科学の発展にもつながったと考える。
 農耕社会は狩猟社会の科学の発展にかなわぬだろうか。芸術に疎い人間が観劇中に、日本の科学基盤の脆弱性を憂えるというとんでもないことをしていた。

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