日々雑感

中東の女性

 一昨日、中東で活躍する女性の講話を聴く機会があった。その中で印象的だったのは、「中東の女性は、家の中のお母さんとしての地位が高い」ということだ。家の中では、お母さんを助け、お母さんを尊敬している。
 中東の女性と言えば、多くは、イスラム教徒の女性を思い浮かべる。チャドルを被り、そうでなくてもスカーフを被り、男性と一緒でなければ外出できず、教育も公職も制限され、姦淫は厳罰だ。国によって温度差はあるが、概ね、不自由で、人権を侵害された女性の代表格として語られている。
 その裏返しが「母性信仰」なのは頷ける。母とならねば一人前ではなく、母は家を支配するが、家の一歩外を出ると、ただの性的対象になる。アメリカ人の女性に訊いた話では、サウジで普通の恰好をして独り街を歩いたら、あちこちで男の手が伸びてきて酷い目に遭ったと言う。
 イスラム圏だけでなく、かつては、多くの地域で女性は不便を感じて生きてきた。40年前にメキシコのバスに乗って、当時のメキシコらしく、夜間バスが故障して車内が真っ暗になると、どこからともなく男の手が伸びてきた。また、30年前、インドで映画館に独りで入ったら、観客は全員男で、私は、じろじろ見られた。映画どころではなく、早々と出てきてしまった。
 多くの地域で、社会の成熟とともに女性は自由を獲得してきた。遅れていたカトリック圏も変わってきた。現在、取り残されたのは、イスラム圏とアフリカであろう。そこは、男たちが血で血を洗う紛争を繰り広げている。母ではなく「女」の政治参加があれば、もしかしたら、状況は一変するかもしれないと期待を抱く。
 翻って、日本女性は、今も社会進出の国際順位が百位以下だが、多くの自由を獲得している。教育も、職業も、配偶者選びも、だ。その自由をもっとうまく使えるように、そして、欲を出して、歴史的に捨てたか忘れたかの「母性」をもうまく自分の価値にすると、社会は変わる。子を産めない男たちは母性を持つことはできない、その男たちのすさんだ社会を救ってやれるのは、やはり女なのだから。
 老婆の言葉になってしまったが、母性あれば少子化を些かでも覆せる。

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