日々雑感

すわ、朝鮮戦争

 戦後の日本が西側の国として、経済力の高い国として国際社会に復帰したのは、朝鮮戦争のおかげだと言っても過言ではない。朝鮮特需で日本は生産力を上げ、1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」と書くまでになったのである。
 1953年に休戦協定ができてから、南北は今も「戦時体制」である。当時の朝鮮戦争は、工業地域の北鮮が農業地域の南鮮を圧倒し、北鮮軍は朝鮮半島南端の釜山まで南下して襲撃した。この戦争の勃発は、以降、クレムリン(ソ連)の指示だという説、李承晩の賭けだと言う説や、熟柿説など本に書かれてきた。
 今はそんな時代ではない。ブッシュ元大統領に「悪の枢軸」のひとつとして名指しされ、北鮮は、着々と対米、対韓、対日戦争への準備をしてきた。核開発は脅しなのか、本気なのか不明だ。アメリカ、中国、ロシアが朝鮮半島近辺に兵力を結集し、北鮮の動きを注視する中、誰もが思うのは、このまま何事もなく終わってほしいと言うことだ。米、中、露のそれぞれの思惑も明確ではあるまいし、韓国、日本は最も実害を受けやすい。
 一昨日の会合で、元外交官の「これからはアジアの世紀」というお話を聴いた。民主主義を作り出した革命や独立戦争、資本主義を確立した産業革命やイノベーションは終焉を迎え、21世紀の質的量的なアジアの台頭によって凌駕されると言う説であった。
 確かに、国益優先となった英米、イスラムからの価値闘争などにより民主主義の先が見えない。ピケティが明らかにした格差問題で資本主義の先も見えない。しかし、西洋が作り出した今日の世界を変えるようなダイナミズムはアジアにはない。中国もASEANも今だ追いつき追い越せでしかない。数の力でGDP大国となっても、世界のシステムを与ることにはなるまい。
 大東亜共栄圏以来、アジアの世紀は望まれてきたが、立脚する根拠が大抵は精神論だ。アジアは健康と教育の分野で優れ、孔子の哲学で一体となっていると言うのは怪しい議論だ。アジアには世界を動かすダイナミズムがないのだ。一番いい例が、アジア発のイノベーションがないではないか。
 翻って、今回の「朝鮮戦争」。北鮮は、欧米で開発された核技術を盗み取り、欧米産の部品も使って脅迫の道具に使う。確かに、応用と模倣は北鮮ならずもアジア人の得意とするところだが、それを脅迫の道具に使い、民主主義に代わる人々を幸せにする価値と論理を示すことなく振る舞うのであれば、アジアの世紀どころの話ではない。
 ルックイーストのマハティールや開発独裁のリークアンユーは一定の成果を収めたかもしれない。しかし、世界の秩序を変える力はなかった。今回、アジアの国々がやるべきことは、こぞって北朝鮮の暴走をを止めることだ。もし、本当にアジアの国々が孔子の哲学を共有していると言うなら。

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