日々雑感

脱・大日本主義

鳩山友紀夫著「脱・大日本主義」が新書版で出ている。鳩山元首相は、現政権の外交政策、そしてそれに無批判のマスコミから忌み嫌われてきた。しかし、そのマスコミも都議選をきっかけに安倍政権に批判の矢を放つようになり、これまでインチキくさい「GDP600兆、希望出生率1.8、介護離職ゼロ」」の「近未来の日本」に関して、新たに議論する時期が訪れた。鳩山元首相はカウンター議論を提起したのである。
 鳩山さんは飽くまで冷静である。安倍政権対しても、自分を捨てた民進党に対しても、客観的な表現でしか論駁しない。それよりも、自らの政治哲学を淡々と開陳し、日本の取るべき道を「語り部」のように語っている。
 簡単に言えば、大日本主義者はやめようと唱える。グローバリゼーションに乗せられ、パンアメリカンの一翼を担ってきた日本を振り返る。マーケットの大きいアジアと組み、人口減少で叶わぬ成長信仰をやめ、ミドルパワーの成熟国家を目指す。日本の外交を歪めてきたエネルギー問題を解決するため自然エネルギーに投資する。敵国条項の残る国連の安保理常任理事国を目指すのをやめるべきだと主張する。
 鳩山さんの総理を辞めてからの行動は、この哲学に則る。それをマスコミはさんざん揶揄してきたが、確かに、リアリストから言わせると、日米同盟は一定の地位を保たねばならないし、アジア中心の核となる東アジア共同体の発想は一部のサヨク思想に染められている。つまり、広く国民の支持を得るには、リアリストの視点を取り入れる必要がある。国際関係論では、理想主義が勝ったためしはなく、リアリストが世界を席巻してきた。
 この著書は総理になる前に書いてほしかった。継ぎはぎの社会民主主義的なマニフェストで政権を取った民主党は根底のイデオロギー欠如に忽ちぐらついた。自分たちのリーダーの考えがしっかりわかっていれば、進めるべきところは進め、修正すべきところは修正できたであろう。むろん、アメリカの怒りを買ったかもしれないが、周囲がリアルな妥協を諌言できれば、もっと政権は続いたのではないか。
 鳩山さんは自ら筆を執った。総理の職にあった人が自ら執筆するのは異例だ。これまで、政治家で、自ら書いた(と思われる)のは、中曽根康弘と加藤紘一だ。どちらも読みごたえがある。
 身近に鳩山元総理を見る者として、倫理感の高さ、ジェントルマンシップの具現を強く感じる。世間がどう言おうと、知性までを否定することはできない。ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザフは、タリバンに顔面を撃ち抜かれて生還し、「それでも私は変わらない。子供の教育権を声高に主張し続け、殺されてもかまわぬ道を取る」と発言している。鳩山さんの「脱・大日本主義」は、荒削りで、静かすぎる主張ではあるが、死んでもかまわぬの決心で書かれたものと信ずる。

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