日々雑感

もう一つの憲法改正

昨日、都内の民間法人の主催する少子化懇談会が開かれた。人口や少子化対策の歴史、国際比較などは私自身もさまざまのところでレクチャーをしてきたので、よく知る内容であるのだが、今回新たに学んだことがいくつかあった。
 一つは、男女平等を憲法に盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンさんの最初の案では、男女合意で婚姻をする趣旨の第24条の冒頭に「家族は人間社会の基礎であり・・・」を書いていたと言う。憲法らしからぬ表現だと削除されたが、家族を憲法に位置付けたのは、ワイマール憲法であり、ドイツ連邦共和国基本法は、その流れを汲んで第6条に「婚姻および家族は、国家秩序の特別の保護を受ける」とある。
 安倍首相悲願の憲法改正の論議の中で、9条以外に出てきた議論というのは、環境権がない、地方自治は4条しかない、というようなもので、少子化が大きな課題の日本で「家族の権利がない」という議論は聞かない。むろん、理由は明らかである。「家族」は戦前のイエ制度を思い起こし、1941年の「産めよ増やせよ閣議決定」と並んで、女性や革新系の人々に嫌われてきたからである。
 もっとも、今の若者が、イエ制度や例の閣議決定を思い起こすことなどあろうか。家族という言葉にアレルギーを感じる年代層の方が少なくなりつつある。また、昨日の議論で学んだもう一つのことは、NHKの高校講座で教えている「家族」とは、「ライフスタイルの選択によって構成や関係が変わるもの」としている。かつてのように、血族集団が中心のような教え方はしていない。
 それならば、憲法第25条が生活保護法の根拠になるように、あらゆる少子化対策法の上に位置し、憲法上、国家による家族への支援があってもおかしくはあるまい。国による家族への介入と言われる可能性もあるが、この権力行政は、規制ではなく給付行政の根拠とするのである。
 私は、ここ数年、「少子化」はやめて、はっきりと「人口政策」にすべきと主張してきた。昨日の基調講師の主張も「少子化はやめて、家族政策にすべき」だった。フランスをはじめ少子化を克服した国は「家族政策」を駆使している。それは、日本のように保育所に矮小化した「ケチな」政策ではない。
 憲法に家族の権利を書くか、保育所一辺倒を辞めて多様な家族政策に財政的にも取り組むか、一体誰がこの分野をリードしてくれるのだろうか。少子化担当大臣が2007年に創設されてから10年。この大臣を奉職した人は17名。誰も名前を挙げられない。ほとんど全員が兼職大臣だからである。
 やはり、憲法に「家族」を書き込むべきか。

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