日々雑感

国際チャリティ・デー

 9月5日は、国際チャリティ・デー。ちょうど20年前のこの日、マザーテレサが亡くなったことに因んで、国連が決めた。一昨日、私は、都内でチャリティと題した講演会の講師を務めた。
 30年余り前、マザーテレサがインドのコルカタでホスピスを運営していた頃、私は、厚生省から出向してユニセフのインド事務所(ニューデリー)にいた。1979年にノーベル平和賞を受賞したマザーテレサは既に有名な人であった。
 ノーベル平和賞の授賞式には、いつもの木綿の服を着、サンダル履きで現れたマザーテレサは、受賞スピーチで神の愛、貧しい人の感謝の心などを淡々と語った。晩餐会は欠席し、賞金は貧しい人のパンを買うために使われた。これは有名な話だが、マザーテレサらしさがそこに表れている。
 もちろん、マザーテレサは19歳でカトリックの修道女としてインドにやって来た当初から順調に仕事ができたわけではない。カトリックの押し付けであるとの反発も経験している。
 国連機関のユニセフで仕事をしている私から見れば、宗教団体のチャリティ活動は羨ましいところがあった。自分の考えで仕事ができ、資金も豊かで、施設も立派だった。ユニセフは国連加盟国であるインド政府との協議により政府の方針に則って仕事をする。インド全体を対象にするため、立派な施設などは作れない。
 実は、ユニセフは国連機関でありながら、珍しくチャリティ機関でもある。加盟国にユニセフ国内委員会を設け(日本はユニセフ協会)、そのチャリティ資金を活動に充てる。チャリティで活動する機関は、寄付者に活動内容を報告するのが大事である。継続的にチャリティが続くには、その活動に賛同してもらわねばならない。
 幸い、ユニセフは、WHOと並んで、現地主義で仕事を行う、活動の見える国連機関であり、日本を始め支援は滞らない。私は、講演会では、ポリオワクチンの需要調査を人海戦術で行っていること、カシミール州で女子生徒に学校に来てもらうため便所づくりをしたことなど具体的な活動をお話しした。
 日本は仏教国で、「喜捨」という考えは元からあったが、チャリティ活動は、明治時代にキリスト教とともに入ってきた。したがって、チャリティの土壌がそもそもあったわけではない。アメリカ、イギリス、ドイツなどチャリティが盛んな国は宗教と繋がった歴史的な理由と、チャリティが税金の代わりとして支払える寄付金控除制度の存在が大きい。
 日本のチャリティ機関で大きいのは、中央共同募金協会(赤い羽根募金)と日本赤十字社だ。いずれも厚労省管轄下であり、私は職業的にかかわった。1990年代まで赤い羽根共同募金は年270億円のチャリティがあったが、現在では180億円まで下がり、年々減少する傾向である。町内会などの組織的強制募金に対する批判や格差社会で「募金される側」に回った人が多くなったのが原因である。
 日本赤十字社は、災害の時に力を発揮する。記憶に新しい東日本大震災では3300億円のチャリティを集めた。災害時、衆議院議員だった私は、地域の人からよく聞かれたのは、日赤のお金はどうなったのかということだ。日赤では都道府県ごとに判断をして被災者に義捐金を配分しているので、一括して公表に及ばないとのことだった。チャリティが続くためには、ユニセフの件で上述したように、活動が募金者に見えることを念頭に置く必要があると私は思う。
 さて、日本はチャリティの盛んな国を真似る必要があるだろうか。そのためには、上述の寄付金控除制度は要になる。これに似た「ふるさと納税制度」が、豪華なふるさと特産品とのギブアンドテイクになっているという批判を考えると、チャリティの土壌の薄い国で、欧米のような寄付控除制度の導入は疑問がある。そして、日本は、本来、チャリティで行う活動も政府が掬う。たとえば、介護保険。マザーテレサの仕事はホスピスと介護が大きいが、日本では国の仕事として制度化された。
 国の仕事はチャリティではなく、税金で行われているのだが、これも自分の懐から出ていく金ならば、国の事業活動も見える形で納税者が喜んで納税できるようにしなければなるまい。我々は、税金もチャリティもその活動を見極め、必要ならば自ら出て行って、その活動に携わる行動に出ることが望まれる。それが成熟国家であると考える。

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