Lean In
「リーン イン」。2013年にフェイスブック最高執行責任者のシェリル・サンドバーグが書いた本である。タイトルは、前へもたれかかって進め、と女性を叱咤激励する内容だ。
私は、ここ10数年、女性の生き方論への興味を半ば失っていた。それまでは、70年代、ウーマンリブ最高潮の時期にアメリカに留学し、名実ともにウーマンリブ人生を歩いてきた私だが、2001年、山口県副知事として、男女共同参画条例を制定したことが保守的な土壌で反感を買った。反感の論点は日本伝統社会論を基軸とする些末なものだった。
そもそも、私は、個人の生き方としてウーマンリブであっただけで、仕事上は、国民の健康と福祉が視点であり、あえて男女共同参画に与する必要はないと考えるようになった。伝統論、文化論は時間の無駄だ。
同時に、2000年施行の男女共同参画法の考えは、其の後、地方での条例制定を経るにしたがって、下火となり、むしろ反動を引き起こす政策として存在した。戦後から90年代まで燃え盛った「闘う男女平等論」は恐らく、ほぼ消火されたのだと思う。
これについては、連載の欄(ウーマンリブ敗れたり)に詳述したので、ご参考賜れば幸いだ。さて。そういうわけで、サンドバーグの本は、当初、読む気がしなかった。アメリカで、しかも、民間の競争社会で上り詰めた優秀な女性が、なぜ今更女性の生き方を書くのかと訝しく思った。しかし、昨年の大統領選では、ヒラリー・クリントンは「女性」を意識した演説を繰り返していた。待てよ、ウーマンリブ発祥の地であり、日本は及びもつかないほど女性が活躍しているアメリカであるはずが、なぜ、今も、女性を「洗脳」「激励」しないといけないのかと疑問を持った。
アメリカでも、いや、アメリカだからこそ、女性は闘い続けなければならない、歩みを止めてはいけない理由があるのだ。アメリカの男性は、日本とは比較にならないほどメイルショウビニスト(男性優越主義者)なのだ。アメリカという国は、男が強く、スーパーマンでなければ、移民や開拓ができなかった歴史があるのだから。
ユダヤ人の普通の家庭に育ち、公立学校に通ったサンドバーグは、ハーバード大学に行き社会に出て、男女の意識の違いを気付かされる。男は強いのが称賛されるが同じ態度を持つ女性は「生意気」になる。男は自己肯定的だが女は自己否定的だ。チャンスに対して、男は能力如何に拘わらず挑む。女はチャンスを前に恐れる。
サンドバーグは、男女の生物学的な差異を分析はしない。彼女はMBA(経営学修士)で、ベーシックな学問にはあまりこだわらない。しかし、彼女は、男女の違いの現象に、憤りを感じ、女性が抵抗や先入観をかいくぐっても前へ進むこと、リーン インを促す。
平易な英語で読みやすい本だが、同時に、日本でも90年代まではこの種の本が平易な言葉でどれだけ書かれてきたことかと思うと、社会は変わらないと嘆いてしまう。しかし、サンドバーグはフォーブズ誌で世界を動かす女性にランクされ、資産も10億ドルを超えるとされる稼ぎ手だ。彼女の言葉には重みがあろう。このサンドバーグですら、こういう本を書かねばならないほど、女性の活躍は社会が難しくしているのだ。
この本の出版後、サンドバーグは夫デービッドの急逝に遭う。後日、スタンフォード大学の卒業式に招かれた彼女は、いつもの確固とした演説ではなく、人生に第二の選択があるという趣旨の、夫恋しさに涙声になりながらのスピーチをした。「でも、子供がいてよかった」「仕事があってよかった」。
アメリカですらトップの女性は「女性であるが故」の苦労をしている。ヒラリーもついに「最後のガラスの天井」を破ることができなかった。翻って、日本では小池百合子都知事も、今の情勢ではガラスの天井に阻まれている。
だが、小池さんは、野田聖子と共に「選択制夫婦別姓」の推進者だ。これまで女性の法務大臣は何人か就任したが、これを進める勇気のある人はいなかった。希望の党の当初の公約にも入っていたのだから、野党の立場にせよ実現を図ってほしい。もっとも、踏み絵を甘んじて受けた民進党出身者は、この次の踏み絵は御免、という状況であろうが。
日本にも、トップの一存で引き上げられる閣僚や官僚の公務の世界ではなく、サンドバーグのような、民間の競争社会で勝ち抜く女性が出てきてほしい。そして、リーン インを世に伝えてほしい。