ピンチはチャンスなのか
昨日、都内で、トロント大学医学部アブエライシュ准教授の話を聴く機会があった。教授は、ガザの難民キャンプに生まれ、貧困から抜け出し、ロンドン大学、ハーバード大学で学位を修めたパレスチナ人である。イスラエル病院勤務の時に、イスラエル軍砲撃によって3人の娘を失った。しかし、彼の信条は、決して人を憎まないことだ。
世俗的すぎると躊躇しつつ、私は、数回の選挙を経て、誹謗中傷や選挙ゴロの存在を憎むことは避けられないと述べた。すると、教授は、「むしろ落選して神に感謝すべきだ。その経験で次はあなたは成功する」と答えた。
平和社会での小さな憎しみは、紛争社会での大きな憎しみよりも克服しがたいことを私は感じた。教授は、涙と鼻水をふきながらお話しした姿を見ても、想像を絶する経験によって、その哲学にたどり着けたものと思う。世俗の人間の及ぶところではない。
教授のメッセージは、憎しみを克服してピンチをチャンスにすべきということだろう。この言葉は、四面楚歌となっている小池百合子さんに最大の救いの言葉になるはずだ。誤解されぬように言うが、小池さんを応援する気は全くない。ただ、彼女ばかりを攻撃している、小池人気にあやかろうとして裏目に出た選挙ゴロは、もっと憎むべき存在だ。
小池さんは、「ガラスの天井を破ってきたが、最後に鉄の天井にガーンとぶつかった」と語った。ガラスの天井は、ヒラリー・クリントンも演説でよく使ってきた言葉だが、小池さんのこの表現は間違っている。女性に対して見えない障害がガラスの天井と表現されてきたのであって、鉄の天井なら、初めから見えていた障害だ。
政界渡り鳥と揶揄されながらも、見事に時の権力を掌握し続けた小池さん。失敗の殆どないそのセンスが、厳然と存在する鉄の天井を楽観視させた。これからは、小池さんの後ろにいる連中が、バラバラになっていくだろう。彼等、それに乗じたマスコミが小池さんの未だ実績の上がっていない都政を困難にさせていくだろう。
民主党が2012年、二大政党制をほぼ永遠に葬ったように、小池さんは野党の意義を葬った。小池さんのピンチというより、日本の政治にピンチがもたらされた。このピンチにチャンスが巡りくるとは信じられない。
我々は宗教者ではない。我々の中で壮絶な太平洋戦争を戦った兵士は極めて少数になった。我々は、世俗の人間として、今の政治のピンチを憎むしかあるまい。