人口問題元年
2018年が明けた。どのマスコミも今年の課題は、北朝鮮と憲法改正の趣向を伝えている。もう少し踏み込めば、表面的と言われる好景気に対して労働分配率の向上が図れるかが、それに次ぐ課題だ。
しかし、国家的課題は庶民の生活には遠い。人々は、介護保険料などで減る年金、いつの間にか「エリート」施設になった認可保育所に入れるかどうか、セクハラや不倫や猟奇事件に巻き込まれないか等、心配しながら日々を生きている。身を守ることに必至だ。
その世相を反映してか、年末年始の街は心なしか静かだった。クリスマスの装飾も音楽も長年経験してきたが、2か月前の「新参」ハロウィーンにすら負けた。浅草寺や明治神宮の初詣客の多くがアジアの言語を話している。日本人は「引きこもり」になったか?松の内が終われば、成人式の日に、着物レンタル会社が負債を負ってトンズラし、若き乙女が一生一度の晴れ着を着る華やかな機会を失った。
まるで人々が本当は危うい日本を察知し、華々しさから逃げるように、引きこもり状態に入ったような気がしてならない。本当は危うい、とは何なのか。北朝鮮問題は毎日のニュースで伝えられているように、少なくも政府が最優先の課題として取り組んでいるのが見えているが、他に日本の土台を揺るがす社会的問題があって、それは取り組んでいるように見えないことだ。
人口問題と借金財政だ。昨年は94万の子供しか生まれていない。団塊世代の3分の1だ。借金は優に千兆円を超え、その対策は語られない。この2つは庶民にのしかかっている問題であり、2課題は互いに関連している。人口問題がある程度解決つけば借金は返しやすいからだ。
AIが発達する世に人口は少ない方が良いとか、外国に借金していないのだから心配無用という議論がさんざん行われてきたが、そんな「ふてくされた」議論のために、人々は委縮してしまったのだ。先ずは人口問題に取り組むべし、それをやらねば消費は回復せず、真実にデフレ脱却はできない。
社会保険中心に社会保障制度を構築することを決めた1950年、年金と老人医療の改革によって福祉元年と名付けた1973年、最初の少子化対策1994年と最後の社会保障制度である介護保険法1997年。戦後ほぼ20年おきに人々の生活に密着した制度が造られてきた。そう、最後の介護保険法からほぼ20年、今年2018年こそは人口問題に取り組むべき年である。