日々雑感

西部邁氏の死を悼む

   音楽家の不倫・引退会見、相撲界の再びの不祥事、北朝鮮の平昌五輪参加、いつもの喧(かまびす)しい報道の一方、西部邁氏の多摩川入水自殺は殆ど伝えられなかった。
 神経系の病に侵され、頭脳明晰は変わらぬものの、先生は死を予告していた。知識人界、言論界では、巨星墜つ、だ。きら星は流れ星の如く闇に吸い込まれていった。
 マスコミは保守系評論家、と彼を表する。先生はもともと経済学者だが、私には、社会思想家と言った方がピンとくる。社会科学のあらゆる分野で知性を惜しみなく発揮する。芸術も造詣が深い。何よりも、議論を始める前に、言葉の定義を語るが、この深さ、面白さ、歴史観、世界観に驚愕する。
 西部先生はこと民主党に関しては手厳しかった。かなり早い段階で「この党は解体するしかない」と言い放っていた。御自身は、60年安保闘争から足を洗って保守の論客に転じた経験があり、似非(えせ)革新を何より嫌った。民主党は、もともと非自民だけを標榜して、労働組合と松下政経塾が、それぞれ砂糖と塩を競って入れ続け、甘いのでもなく辛いのでもなく、保守でも革新でもなく、議員という地位を得るためだけの坩堝(るつぼ)となった。
 西部先生の予告通り、民主党、それを継いだ民進党、希望の党は解体寸前、今や時間の問題だ。解体序盤に仲間から外された立憲民主党だけが旧社会党再来のような形で残ったのは皮肉だ。
 私が2012年の総選挙で敗北した後、民主党を辞めたのは西部邁氏の影響なしとは言えない。政党も主知主義をとらねばならないとの西部流思想を選び、損得勘定だけの、土台のない政党を忌み嫌うようになったのだ。民主党政権時代に民主党が喜んで使った論客である山口二郎、金子勝、植草一秀、浜矩子などは皆、民主党系から距離を置いている。知識人界、言論界から遠ざけられた政治が成り立つとは思えない。
 西部先生は決して政権寄りでもない。安倍政権にも批判は向けてきた。しかし、右から左までの論客と渡り合い、西洋史に比べ議論の足りない日本近代史を論理的に再考し、自然主義的な日本の思想の基礎は保守主義であるとの確信は揺るがなかった。
 残念無念。西部邁は、もういない。日本の知性の柱は墜ちた。

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