永田町墜落、霞が関崩壊
近頃、どの会合に行っても、森友・加計問題に言及して、官僚の質低下が問われる。我々団塊世代が入省したころ、幹部は「日本も経済が良くなって、良い人材が民間に流れ、官僚の質が低下した」とよく言われたことを思い出す。
しかし、今回の官僚の無様は、「昔は良かった」論調で測れないほど深刻な状況である。「会ったかどうか記憶にありません」「刑事訴追があるので、答えられません(答えたら、将来、安倍さんから天下りポストを頂けません)」。最も優秀と自負していた財務・経産官僚が恥ずかしげもなく、身の保全だけを考える。
この際財務官僚の息の根を止めてやろうと思ったか、週刊新潮が財務事務次官のセクハラをスクープした。録音テープの現物証拠付きだから、逃げられない、彼は万事休すだ。「記憶にありません」は通らないからだ。
官僚の質低下は90年代に霞が関では実感されていた。バブル崩壊後、意欲のある優秀な学生は外資系企業に行き、官僚志望は、安定志向の三番手以下の人材しか集まらなくなっていた。それも、阪神淡路大震災のような大きな仕事が舞い込むと、多忙を理由に簡単に役所を辞めてしまうような連中だ。その時代の入省組が管理職に上がってきた。霞が関の崩壊は20年もかけて起きている事実であり、自明なのである。
しかし、元凶は言うまでもなく永田町だ。小泉政権から官邸主導の政治が始まり、現在では、公務員改革後、官邸が霞が関幹部人事を握るようにまでなった。官僚たちは、本省よりも官邸に気付かい、政策よりも人事で動くようになり、百年以上も事実上官僚が動かしてきた政治の主導権を完全に官邸に渡してしまったのである。まさに平成の大政奉還である。
この状況の中で、確かに、霞が関の知識とモラルの低下も激しいが、永田町は、そもそも知識もモラルも霞が関よりも低い成り上がり者の社会だから、政治の舵取りが円滑にできようはずがない。彼らの多くは、選挙が手段ではなく目的の政治人生である。選挙に勝って、次の選挙のために、政府内の高い椅子に座ればいい、やりたいことは、政策ではなく、選挙を応援してくれた人に「忖度」の礼を尽くせばよい。ついでに言うが、野党はもっとひどい。バッジをつけていればいい、質問はうまく相手を貶めればいい、勿論、対案はない。
永田町が墜落し、霞が関が崩壊しているのは明らかだ。しかし、日本は、先進国としてこのまま足踏みを続けるわけにはいくまい。ただし、いくら仲良くてもトランプ頼みは危険だ、トランプ自身が政治の知識に欠け、モラルは、セクハラの大家と言われているが如くの人間だ。日本で今起きているトランプ現象と相乗作用で、世界の笑い者になるべきではない。
少しだけ望みはある。前川元文科次官や中村愛媛県知事だ。政権に阿ることなく、真実を伝えた。彼らへの批判は、勿論、政権側からの圧力だ。これを機会に、安倍政権では多すぎる経産官僚とそのOBの起用を控え(彼らの得意な経済成長戦略は失敗しているではないか)、文科省や地方自治から反骨精神を持つ人間を起用すべきだ。そして、今こそ、憲法改正以上に、教育、科学、地方自治について取り組むべきなのだ。