日々雑感

日本の貢献

 昨日、篠田英朗東京外大大学院教授のお話しを聴く機会があった。先生は、国連カンボジア暫定統治機構を始め、紛争現場での数多くの経験を積み、学究の道に入った。リアリストであり、歯切れがよい。
 1992年、日本で国連PKO協力法が成立し、その年にカンボジアに派遣された日本の文民警察官の一人が殉死した事件は当時大きく報道されたが、篠田教授はこの事件はまだ検証されていないと指摘。また、昨年、日報問題で混乱した南スーダンからは自衛隊の撤退が行われた。篠田教授は、改めて日本の平和貢献は何かと問われていると言う。
 結論から先に言うと、先生は、南スーダン撤退後の日本が今後国際社会に貢献すべき点として、ロジスティクス(戦略戦術)に貢献し続けること、アフリカの機構とパートナーシップを結ぶこと、アジアの国々の参加と協力を進めること、調査・分析の技術的貢献をすることの4点を挙げている。紛争現場を知らない日本人の関心を集めるのは難しい提言だが、要するに、日本の国際社会、特に平和活動においての存在感が小さすぎるので、できる役割に絞って貢献すべきという趣旨と筆者は捉えた。
 筆者は1980年代、ユニセフ(国連児童基金)のインド事務所に出向し、児童・女性向けの開発援助に取り組んだ。その仕事は常に「哲学的問題」を抱えていた。なぜ、インドの貧しい子供のために働くのか、日本人のためにやるべき仕事は山ほどあり、国の予算は日本人のために使うべきではないか。実際に悩んだ末、ユニセフにとどまる考えを辞め、厚生省に帰る決心をしたのは、この考えのためだった。
 しかし、1991年の湾岸政争のあと、日本は国際社会から「カネだけ出して汗をかかぬ」と非難され、前出のPKO法が導き出された。2001年の9・11以降はアメリカの対テロ戦争に協力し、今回の南スーダンも、国家なのか無法な地域なのか分からないようなところで、「紛争地帯ではない」と言い切って平和活動に自衛隊を派遣した。
 しかし、日本は、世界の警察官アメリカ(トランプ大統領は否定している)、かつて多くの植民地を持っていた欧州の国々とは違う。欧州を真似ようとして、結果は戦争に負け、戦後の世界で世界の平和構築に貢献する役割を担って来なかった。経済大国とは言え、平和構築の分野では、もっぱら「新参者」扱いなのである。しかも憲法9条の問題も抱えている。だが、国際貢献するために憲法を変えるべきという理屈は軽率だ。先ずは、篠田教授が提言するような役割を果たしていくことが先決である。
 1980年代、ユニセフ・インドにいる時、開発援助の究極の目的は平和構築なのだという「哲学」があったならば、筆者は、もしかするとユニセフに留まる決意をしたかもしれない。当時は、W・W・ロストウの経済学上の「テイクオフ=離陸」を先進国が劣位にある国に対して「助けてやる」という哲学が支配的だった。だから、筆者は日本に帰る選択しかなかったのである。
 国際関係論の教科書の多くは、1648年のウェストファリア条約で国民国家ができたとしているが、篠田教授に言わせれば、近代国家ができたのは、名誉革命後のイギリス、独立戦争後のアメリカ、フランス革命後のフランスなどに限られ、特に第二次世界大戦後の旧植民地が独立した国家などは、形式上の国家であって、内情は無法地帯の地域としか言えない国も多い。確かに、ソマリア共和国には承認された統治機構はないのに、地図では存在している。
 近代国家の歴史は欧州が作った。しかし、日本は独力で、その定義に値すべく国を構築してきた。欧州に匹敵する東洋の稀な国であり続けたが、近年では、中国が共産国家とは言え、その国家資本主義でユーラシア大陸を席巻し始め、また、数々の紛争を乗り越えた東南アジア諸国は「第二の日本」になりつつある。アジアパワーの協力を得て、日本らしい平和貢献は必ず存在する。先ずは、篠田教授の4提言を是として進めてほしい。

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