子供の「自由」
昨日、内田伸子お茶大名誉教授の話を聴く機会を得た。題は「子供の養育環境改善の提言」。発達心理学を専門とする先生が長年に渡り着実な研究を積み上げた「子育てと教育の在り方」議論だった。
内容を概括すると、子供の脳の発達による認知革命は、生後10か月頃、5歳の後半頃、9~10歳頃の3回起きる。
一回目の赤ちゃんの時に、気質が決まる。人間関係に敏感な「物語型」は女児の80%、モノの動きや因果的成り立ちに敏感な「図鑑型」は男児の80%を占めると言う。これらが病的に(極端に)表れるときは胎内での発達異常が原因である。ダウン症、自閉症、LGBTもここに原因が求められている。
言語の習得により、ウラルアルタイ語族(日本語)と印欧族(英語)の違いが出る。日本語は「そして、こうなった」という時系列因果、英語は「こうなったのは、なぜなら・・」という結論先行の因果で成り立つ。このことが、討論に強い英語圏と弱い日本語の差をもたらす。ただし、研究では、意識すれば日本語でも討論重視の話し方ができるという結果を得ている。
親の躾は、子供との感情共有型と強制型に二分される。共有型は子供の自由を尊重する方法である。比較研究の結果では、共有型の子供は有意に語彙が多く、長じて高い資格などを取る可能性が高い。塾や習い事は子供が自ら望まない限り、脳の委縮など逆効果である。
英語教育は、海外子女の研究により、母国語の基礎を築いてから外国語を学ぶ方が修得が早く、小学校の低学年までは、母国語を確実にすることが肝要である。教育する側の環境も整っていない状況の中で、小学校低学年から英語を導入することになった政策は一考の余地がある。
上述の議論は、科学的にもサンプル数の多さでも、非の打ちどころのない研究成果であり、納得のいくものであった。しかし、出席者の中で、小学校の教員を務めた経験のある方が「これでは、子供に何も教えるなということではないか」と憤懣を表した。
筆者は、日本の社会では、内田理論を実践するのは難しいと考える。日本のような権威主義的な社会では学歴や有名企業の肩書が重要であり、学校の先生はアンチ・リベラル(戦後日教組の反動)であり、家庭では、一人か二人の子供しかいないから失敗ができないとの考えから、手っ取り早い「強制型」子育てや教育に傾きがちだ。
人口を増やす少子化政策は「量」の問題だが、教育や躾は質の側面を解決する。これからの少子化政策は、その意味で文科省の役割が大きい。今も保育所待機児童ゼロが少子化政策のメインとは情けない話である。自由を奪われた今の日本の子供たちが、若者になって「革命」をおこすであろうか。多分それはない。人口、経済、そして若者の夢も小さくなっていくのが日本の運命だ。子供に自由を返し、感情共有型の躾と教育を必死で望む。