改めて、国連
10月24日は国連の日。1945年この日、国際連合は発足した。日本は、1952年のサンフランシスコ条約で国際社会に復帰したが、1956年の日ソ共同宣言でソ連との国交回復後に国連に加盟した。
以後、岸信介が60年安保改定を乗り切るために、日本の外交はアメリカ一辺倒ではないとして、国連中心主義を掲げた。国連中心主義という外交方針が採られるようになった所以であるが、現実には多くの人の目では、日本の外交は安保体制を中心に行われてきた。国連中心ではない。
アメリカに次いで国連に対し第2位の拠出国であり続けた日本は、長らく、安全保障理事会の常任理事国に入ることが念願であった。しかし、来年から、中国が日本を抜いて第2位の拠出国になることにより、この件は実現できそうもなくなった。目標を失った日本は国連外交で今後何を目指すのであろうか。
国連は、安全保障理事会が拒否権によって機能しない代わりに、経済社会理事会の開発・人権に関わる仕事に力を入れてきた。日本も人間安全保障の分野で活躍したが、一方、開発援助の分野では、90年代には援助額で1位を誇ったものの、今では5位に落ちている。日本の有権者は長いデフレ経験から「日本の格差が進んでいるのに、海外援助する必要はあるのか」という意見が多くなっている。
筆者はかつて国連総会で設立されたユニセフに出向したことがあり、国連の仕事の一端を担った。開発途上国の情報の蓄積が大きく、日本政府にとっても利用価値の高い機関と思われた。しかし、今も昔も、国連と国連関係機関に日本はあまり進出しない傾向がある。単純に、日本人は英語が下手で人材がないという理由もあるが、今や大国日本にとって、国連の存在自体が薄れたこともあろう。
日本は、国連においても、アメリカの意向を支持してきた。現在、トランプ大統領は明らかに国連を軽視している。最近亡くなった二代前のコフィ・アナン事務総長はブッシュ大統領のイラク戦争を批判してアメリカの不評を買い、潘基文前総長はISISに手を打たず、韓国人脈を築くのに終始したと言われる。ポルトガル出身のグテーレス現総長は国連の力量回復に貢献できるか。彼は、暗にトランプを批判し、長崎の原爆の日に来日した人である。日本はどう付き合うか。
日本が国連を使って国の法制度を変えてきたものがある。それは、1991年の湾岸戦争の時、国連決議の下で諸外国が出兵するのに日本は自衛隊の派遣ができなかったことに始まる。出兵の代わりに1兆円もの軍事費を提供したにもかかわらず、全く感謝されず、1992年、PKO法を作り、自衛隊の海外派遣を可能にした。2015年の安保法制は、実質日米同盟のためだが、集団安全保障の考えは国連活動においても必要であった。
秋は国連平和デーや国連ガールズデー等関連行事が多い。日本は国連という道具をどう使っていくのか、あるいはもう使わないのか、明らかにする良い機会だ。そうでなくても、世界は、米中経済戦争、新たな権力集団と言われるGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)で動いている。国連の影が薄いと思うのは、筆者だけではあるまい。