安倍首相はパペット?
2020年が明け、東京オリンピックが眼前に迫った。しかし、1964年の東京オリンピックの時とは様相が違う。当時は、高度経済成長の真只中、人口は増え、世界2位の経済大国に垂んとするとき、日本の戦後の復興ぶりを世界の人々に見てもらう、その興奮が渦巻いていた。
21世紀に入ってからは、人口規模も世界のGDPに占める割合も、日本は急激な下り坂を下っている。データを見るまでもなく、かつて高品質の代名詞だった日本製品が売れない、有能な日本人と見られていたころの敬意が払われない、そんな日常感覚が普通になりつつある。その中での東京オリンピックだ。エコノミストは祭の後の消費不況を警告してやまない。
昨今、実体経済が良くなったとは誰も思わない。株価は2012年以来上がっているが、株価は経済の期待値でしかないことは誰もが知るところだ。安倍首相は、第二次安倍内閣以来、経済政策に力点を置き、本心は憲法改正をやりたい気持を抑えて今日まで来た。もう任期余すところでは、本命の憲法改正は無理だ。だとすると、今日までの安倍一強と言われてきた政治は、首相のリーダーシップではなく、むしろ影の誰かによって行われていたのではないか。
そんな勿体ぶった言い方をするまでもない。安倍首相を取り巻く経産官僚OBの、リフレ経済志向、目先だけのイノベーション志向が首相を傀儡にしてきたのではないか。また、官邸に赴く率が高いのは外務省で、旧来型の親米幹部が首相を傀儡にしてきたのではないか。つまり、長期政権になったのは、リーダーシップよりも傀儡のおかげではないか。
司法官僚は、そう簡単に憲法改正に動くわけはない。他省庁と異なり、統治機構の礎だからだ。安倍首相は、結局、真実に自分を発揮しないまま長期政権を降りる時が迫ってきた。東京オリンピックという祭の後にかかってくる暗雲を除けることに全力を傾けなければ、山崎卓氏が言うように、安倍首相はレジェンドのない首相として終わってしまうだろう。パぺット(傀儡)総理で終わってしまうであろう。