日々雑感

ウィズコロナ 政治に求められるもの

 日本のGDPが年率換算で27.8%落ち込むことが報道された。4-6月の数値の年率換算であるから、最終的には数パーセントの減になる見込みだ。リーマンショック以上と言われるが、緊急事態宣言で、人為的に経済を停止させたのだから、驚くにはあたらない。

 問題はいかに回復していくかである。アフターコロナなのかウィズコロナなのかは、ワクチンが社会をいつ収めるかにかかっている。今のところは、ウィズコロナでいくしかない。

 ウィズコロナで経済が動いていることは株価指数に現れている。ナスダックが最高値を更新しているのは、GAFA関係、つまり、オンライン会議や巣ごもり通信の需要が高いからだ。
 
 また、日本では、インテリア関係、マスク・消毒液などの日常健康用品や殺虫剤が増収している。明らかに、人々の行動は、内向きになっていて、外食や旅行は避けられている。人々は自分を見つめる、家族を見直す、身の回りの住環境を整えるのに一生懸命である。

 ウィズコロナが自分を見つめるのによい機会ならば、学問や教養を高める機会にすべきという論調も多くみられる。文字文化や読書習慣が戻ってくるかどうかはまだわからないが、明治時代の義務教育の普及や西洋の学問の導入の勢いを思い起こし、新たに教養社会を作り直すことが経済社会の回復につながるであろう。

 そのことを一番知ってほしいのは政治家だ。ワクチンを開発するまでは科学者の仕事であっても、開発の推進やその後の普及、同時に経済回復についての選択は政治家の仕事だ。河井夫妻に象徴されるように、政治家が選挙のためだけに政治をやっている今日の在り方では、日本の回復はおぼつかない。

 政治家になるには、学歴も職歴も問われない。日本社会の代表だからさまざまの人がいてよいのだと思う。しかし、彼らの下につく政策秘書は、博士号取得者、司法試験合格者、国家公務員I種試験合格者を原則としハードルが高い。政治家にはこのような基準は求められていないが、ただひとつ、モラルだけは高くなければならない。

 そのモラルは教養に裏打ちされるものなのだ。だから、国の方針に関わる政治家は十分に勉強する必要がある。選挙のための政治では、ウィズコロナの日本は絶望だ。

 安倍首相の祖父岸信介は、記者会見の場に臨むと、その語り口に教養が漂っていたと当時の記者たちの思い出話が残っている。岸は、東大法学部首席を民法学者我妻栄と争った銀時計組だが、何よりもその語彙の豊かさに記者たちは驚いたと言う。

 失礼ながら、教養漂う語り口の政治家は消えた。自らを「ボキャ貧」と称した小渕首相をはじめ、ITをイットと言った森首相、スローガン創造者の小泉首相、未曾有をミゾユウと読んだ麻生首相など、近年の漫画文化に沿った話しぶりに代わった。時代の変遷か、それとも教養主義の排除か。

 ウィズコロナで立ち上がる次の首相は昔ながらのモラルと教養を身に着けた人であってほしいと願う人は多いはずだ。

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